My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅩⅢ.
2019 年 8 月 26 日
My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅩⅢ.
§ 人生の選択 §
T2参加後、各地でレベル1及びレベル2のティーチングの要請を頂き、だんだん忙しくなってきました。
自分自身でスクールを開校するというアイディアもありますが、まずはティーチングの経験を積むことを優先しようと思いました。今では私にとって、それはベストな選択だったと思っています。お陰で毎月のようにどこかでコースをティーチングする機会に恵まれ、オーラソーマに対する理解はもちろん、ティーチャーとしてのティーチングスキルを磨くことができました。もちろん現在もまだまだ成長し、進歩し続けています。終わりがないことが私にとっては、自分自身が変化し、成長していく楽しみに充実感を感じるのだと思います。
その時は、特別意識していつ開校するという目標のようなものを持っていたわけではありませんが、なんとなく二年間位は、フリーとしてたくさんの経験を積もうと思っていたように思います。
ただ、いつかは自分のスペースを持つことになるだろうと思っていましたので、オーガナイザーの皆さんには、ご本人がもし望むのであれば、いずれティーチャーになってご自身でコースを開催できるように、いつもコースに参加して頂きながらお勧めしていました。
そして私自身の中で、きっといいタイミングが来れば、分るような気がしていました。
その頃、私にはもう一つ重大な選択の必要が起こりつつありました。
それは、その当時長年本業としてイメージコンサルタント及びメイクアップアーティストの養成講座・個人的なお客様へのコンサルタント・企業での講演、また卒業生へのサポートとして、様々なマテリアルの制作などを行なっていました。
これらは、私にとって間違いなく好きでやりたいことでした。確かにその仕事を行なっている時、とても楽しんでいました。オーラソーマティーチャーになってからも、オーラソーマと両方一緒に続けていくつもりでしたし、私にどちらかを選択するということは、考えられない状況でした。ですが、オーラソーマティーチャーとしての仕事が増えてくるに従って、スケジュール調整が難しくなってきたことで、気持ちでは十分続けられると思っても、実際には体は一つしかないという現実がそこにはありました。そして私が、Teacher Training Level 3を終了した頃から、益々スケジュール的に状況が難しくなり、これからも私の思いだけで両方続けていくことは、私のエネルギーが2分されてしまい、中途半端な状況が万が一もし起これば、それは寧ろ無責任になってしまうのではと思うようになりました。
もちろんそれは人によっては、うまくやり通せる方もいらっしゃるとは思いますが、私はどうやらそれほど器用ではないらしく、だんだんオーラソーマ以外の仕事の依頼が入ると「なぜだか申し訳ない」という感覚が出てきていることに気がつきました。
意識にある私の思考では、「ここでやめてしまうのは、無責任になってしまう。」そして感情では、「続けたい。生徒さんやクライアントの皆さんに申し訳ない。」といつもそういう反応が起こっていました。それにも関わらず、私の無意識にある答えはどちらを選択するのか既に決まっていて、私の感情と思考がその応えに対して、抵抗しているだけだということに気づいてしまいました。
それに気づいたことで、もはやこのままにしておいては、迷惑を掛けてしまうことになると思い、イメージコンサルタントの仕事に終止符を打つための準備を始めました。それは、一年ほど掛かりました。そして簡単なことではありませんでしたが、最後は皆さんに理解してオーラソーマでの仕事を応援して頂き、その後20年間毎年年賀状を頂いたり、その関係は今でも続いています。
その時の思いがあり、きっと私は現在オーラソーマのみに集中しているのだと思います。もちろん私自身もこれから先のことは分りませんが。(笑)
To be continued…
My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅧ.
2019 年 7 月 16 日
My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅧ.
§ 初めてのLevel 1コースに繋がるまで ③ §
以前ブログにも書きましたが、日頃は、のんびりとした性格で、面倒なことはすぐ先延ばしにしてしまい、期限があるとやっとエンジンが掛かるという子供の頃からの習性があり、それでもラストスパートの集中力で、今まで問題なくクリアをしてきたため、「いつもいざとなれば、どうにかなる。」という、一見余裕のようにも聞こえますが、結局は、自分自身へ言い訳をして、実際は、自分の為の、そして期限がないものに対して、逃げていたのかもしれません。
つまり、私がオーラソーマティーチャーとしてスタートすることができたのは、私にとってこの最も私を制限していたものから出ざるを得なかったことにあるかもしれません。
まず最大のポイントは、「私を招待してくれたオーガナイザーの方が、私に期限を決めてくれたこと。」でした。しかもその期限は、私のためのものではなかったことです。誰が私を必要としている。しかもそれは、私がやる必要のあること。
この2つの条件が揃うと、「私は自分の責任を、自分のベストを尽くして、最大限に果たしたくなる。」そして、私の中のスイッチが一旦「ON」になると、かなりの集中力が出るようです。しかも、そのハードルが高ければ、高いほどチャレンジしてみなくなるようです。
当時、このレベル1コースに挑戦することは、私にとってはまだ十分確立されていない未知のものへの挑戦のように思いました。もちろん何度か再受講をしていましたので、大筋のことは理解していたと思います。ただオーラソーマシステムで使用されている言葉のニュアンスが、日常で一般的に使用されていない言葉であったことから、日本語で自分の理解を説明することは、ある意味ではティーチャーの説明次第という、責任重大な役割のようにも思えました。
そしてそのことだけでなく、私には何よりも絶対に乗り越えなければならない最大の挑戦がありました。それは、2017年(Beyond Colourアップデート)以降には廃止になりましたが、「論文:レベル4ワーク」と言われていた10の設問(15,000字~20,000字日本語)と自由研究(15,000字)に合格する必要がありました。当時はティーチャーレベル1コースに、参加することは容易でしたが、レベル1を開催するためには、ティーチャーとしてのディプロマの取得が必須でした。これこそ、もし期限がなかったら自分の意思で自分のためには、永遠に修了しなかったかもしれません。(笑)
レベル1の日程が決まっていると言うことは、必然的にそれまでに、レベル4ワークに合格する必要がありました。
私は、書店に行き、関係がありそうな本を十数冊購入し、私のデスクの上に並べました。そして1日最低1設問を完成させることを決め、取り組みました。その当時のことは今でも鮮明に記憶に残っています。
まず十数冊の本の全てを読む時間は到底ないと思い、(本来ならば全て読むといいと思いますが)設問に関わっているだろう本を手に取り、目次を探し、その項目の部分を読む。それで十分でない場合は、その前後の章を読む、という進め方をしていましたが、1つの設問に対して数冊の本が、関わっている場合も有り、なかなかその方法でも時間が掛かりました。
ただ、その経験の中で、人間が本気で集中したときには、想像も及ばない能力を発揮することができることを発見しました。それは、目次を探す時間もなくなったと感じた私は、まず、自分の直感で本を取り、そしてその本を開く、そうすると私が開いたページにまさにその設問に関連する内容が書かれている。それが何度も繰り返されると、別の意味で面白くなり、後半は全てこの方法で関連項目を見つけていくことによって、予定通り10日間で完成させることができました。
もう一つの自由研究は、「数秘学による人間の資質と潜在的可能性」にしました。
私は、中学・高校まで数学の先生になろうと思っていたくらい、数字のクリエイティブさが大好きで、私にとって、数学問題を解くことは、まるで推理小説の謎を解くことのように楽しいことでした。
この自由研究を4日間でまとめ、予定通りディプロマを取得し、レベル1までに無事に間に合いました。
その頃、私が何をやっているかを知らなかった主人は、後になって、「私のこと見ていて、あまりにもすごい集中力で何かに取り組んでいたので、声を掛けることができなかった。」と言って笑っていました。
生ぬるい私にとっては、限界を超えるほどハードな短期間でのレベル4ワークと自由研究に挑戦したことによって、「やればできる。」という自信も増し、またオーラソーマシステムを多角的に見ることもできました。特に、公的に一般の方への講演の依頼が来たときなどに、オーラソーマシステムへの導入の為の説明に対して、とても役に立っています。
これも、私に最初にオーラソーマコースを開催するチャンスを下さったオーガナイザーの方のお陰です。20年以上経った今も心から感謝しています。
To be continued…
My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅨ.
2019 年 4 月 22 日
§ オーラソーマコンサルテーションを始めた時 ②§
以前にも書きましたが、私がコンサルテーションを始めた頃は、日本にはティーチャーが一人も存在せず、ワークブック(テキスト)もなく、ボトルについての情報というものがほとんどありませんでした。
寧ろ私にとっては、まさにそのことが幸いしました。
何度かコンサルテーションを行っている内に、同じボトル、同じ色を選ぶ人たちに共通点があることに気づきました。また日本という社会性、教育、環境の中での共通の条件付けのようなものにも気がつきました。それはまた私自身の中にあるものでもありました。
このようにして、コンサルテーションを行うことによって、クライアントの方から多くのことを学ぶことができました。つまり私のティーチャーは、クライアントの皆さんでした。
それは、ボトルについてだけではなく、私自身についても同様です。
そしてコンサルテーションを始めた頃から、私にとっては、「こんなに有り難いお仕事はない」ということに気がつきました。
ほとんどのお仕事の場合、お金を頂くときは、お金を受け取る側がお礼を言います。ですが、このお仕事は、たくさんの「ありがとう。」の言葉受け取り、更に自分自身の成長につながり、そしてお金まで頂けるお仕事。そしてこれらと同時にクライアントの皆さんの笑顔と幸せのエネルギーのお裾分けを頂ける。
だからこそ、私も感謝と共に、全てのコンサルテーションに対して、誠実に向き合い最善を尽そうとうと思いました。
オーラソーマティーチャーとしても、コンサルテーションは最も大切なお仕事の一つであることは言うまでもありません。
これらのことに気づいたときに、子供の頃に祖母に言われた言葉を思い出しました。
祖母は、25歳の時に列車の脱線事故で突然夫(私の祖父)を失い、2歳(母)と生まれたばかりの子供(叔母)を抱え、戦後の混乱の中、自らの会社を起こしました。
私の想像の中ではきっと大変な苦労をしたのだと思いますが、祖母は、「あの時代は皆そうだったから。」とにっこり笑ってさらっと言っていました。そして私が生まれた時に、45歳で会社の経営から引退をし、私を育てながら私に多くのことを教えてくれました。
そして、その教えの中に
「お金は追いかけたら逃げる。どんな時も感謝を忘れずに、世の中の人が喜ぶことをやりなさい。そうすればお金は必ず自然に後からついてくる。」「そしてそのためにも本物を見極めること」という言葉があります。祖母の経営哲学です。
小さな子供達を抱えてまともに食べるものさえない時代からも、会社を運営しているときも、先を見据えて、決して目の前のお金を得ることを考えてはいなかったそうです。祖母は本当の意味で地に足が付いた生き方をしていました。
そして、祖母の言葉の通り、小さい頃から本物を見極める目を養うことも教わりました。
オーラソーマをお仕事として選択したときに、このお仕事は世の中の人が喜ぶ仕事だと確信しました。そして本能的に本物であると分かりました。だから何があったとしても今まで不安に思ったことは一度もありません。
祖母の生き方の極意は、今も私の中で生きています。
To be continued…