Lime Green ポマンダーが、イギリスより入荷しました!
2022 年 1 月 19 日
Lime Green ポマンダーが、イギリスより入荷致しました。
たくさんの皆さまが、心待ちにしておられたと思います。
ご注文戴いた皆さまにお送り致しましたので、関西地区~東北地方の皆さまには明日、その後順次日本中の皆さまのお手元に届くと思います。
ぜひライムグリーンのポマンダーの軽やかで爽やかな香りとエネルギーを、日々お楽しみください。
◆アカデミーからの情報(一部抜粋)◆
「ひとつのことが他のすべてに影響を与えるように、このライムグリーンのポマンダーは、すべての影、困難さ、暗闇の中にあっても、信じられないほどの光が明け始めていることを実感させてくれます。希望に基づいた光、豊かさの場所から生きる可能性に基づいた光です。
このライムグリーンのエネルギーを通して、実現可能なすべてのポジティブな側面が表現されます。このポマンダーのピリッとした柑橘系の香りは、春を彷彿させ、そのクリーンでフルーティー、フレッシュな香りは、灰色の空を突き抜け、私たちの生活に太陽の光を迎え入れます。」
Peace Love & Light
Tamaki
My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅩⅢ.
2019 年 8 月 26 日
My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅩⅢ.
§ 人生の選択 §
T2参加後、各地でレベル1及びレベル2のティーチングの要請を頂き、だんだん忙しくなってきました。
自分自身でスクールを開校するというアイディアもありますが、まずはティーチングの経験を積むことを優先しようと思いました。今では私にとって、それはベストな選択だったと思っています。お陰で毎月のようにどこかでコースをティーチングする機会に恵まれ、オーラソーマに対する理解はもちろん、ティーチャーとしてのティーチングスキルを磨くことができました。もちろん現在もまだまだ成長し、進歩し続けています。終わりがないことが私にとっては、自分自身が変化し、成長していく楽しみに充実感を感じるのだと思います。
その時は、特別意識していつ開校するという目標のようなものを持っていたわけではありませんが、なんとなく二年間位は、フリーとしてたくさんの経験を積もうと思っていたように思います。
ただ、いつかは自分のスペースを持つことになるだろうと思っていましたので、オーガナイザーの皆さんには、ご本人がもし望むのであれば、いずれティーチャーになってご自身でコースを開催できるように、いつもコースに参加して頂きながらお勧めしていました。
そして私自身の中で、きっといいタイミングが来れば、分るような気がしていました。
その頃、私にはもう一つ重大な選択の必要が起こりつつありました。
それは、その当時長年本業としてイメージコンサルタント及びメイクアップアーティストの養成講座・個人的なお客様へのコンサルタント・企業での講演、また卒業生へのサポートとして、様々なマテリアルの制作などを行なっていました。
これらは、私にとって間違いなく好きでやりたいことでした。確かにその仕事を行なっている時、とても楽しんでいました。オーラソーマティーチャーになってからも、オーラソーマと両方一緒に続けていくつもりでしたし、私にどちらかを選択するということは、考えられない状況でした。ですが、オーラソーマティーチャーとしての仕事が増えてくるに従って、スケジュール調整が難しくなってきたことで、気持ちでは十分続けられると思っても、実際には体は一つしかないという現実がそこにはありました。そして私が、Teacher Training Level 3を終了した頃から、益々スケジュール的に状況が難しくなり、これからも私の思いだけで両方続けていくことは、私のエネルギーが2分されてしまい、中途半端な状況が万が一もし起これば、それは寧ろ無責任になってしまうのではと思うようになりました。
もちろんそれは人によっては、うまくやり通せる方もいらっしゃるとは思いますが、私はどうやらそれほど器用ではないらしく、だんだんオーラソーマ以外の仕事の依頼が入ると「なぜだか申し訳ない」という感覚が出てきていることに気がつきました。
意識にある私の思考では、「ここでやめてしまうのは、無責任になってしまう。」そして感情では、「続けたい。生徒さんやクライアントの皆さんに申し訳ない。」といつもそういう反応が起こっていました。それにも関わらず、私の無意識にある答えはどちらを選択するのか既に決まっていて、私の感情と思考がその応えに対して、抵抗しているだけだということに気づいてしまいました。
それに気づいたことで、もはやこのままにしておいては、迷惑を掛けてしまうことになると思い、イメージコンサルタントの仕事に終止符を打つための準備を始めました。それは、一年ほど掛かりました。そして簡単なことではありませんでしたが、最後は皆さんに理解してオーラソーマでの仕事を応援して頂き、その後20年間毎年年賀状を頂いたり、その関係は今でも続いています。
その時の思いがあり、きっと私は現在オーラソーマのみに集中しているのだと思います。もちろん私自身もこれから先のことは分りませんが。(笑)
To be continued…
My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅩⅠ.
2019 年 8 月 12 日
My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅩⅠ.
§ Teacher Training Level 2コース §
レベル1コースのティーチングを何回か経験をし、Teacher Training Level 2に参加しました。コースが開催された場所は、オーストリアのチロル州都インスブルクでした。雪が積もるインスブルクの街郊外にある小さなロッジのようなホテルでした。インスブルクは、かつて冬季オリンピックが開催された場所として記憶がありました。T1に引き続き、ドイツ語の通訳がついたドイツ語圏からの参加者が多いコースでした。ほとんどの参加者がT1からの参加者でしたので、今度は顔見知りの人も多く、ドイツ語は分りませんが、少し慣れた雰囲気がありました。
当時のオーストリアのお金は、まだユーロが導入される前で、オーストラリアシリングが使われていました。そしてお札には、丁度レベル2の古代の知恵で学ぶ2ひきの蛇のヘルメスの杖が描かれていました。さすが医術が発展した国らしく、街の中にも、同じシンボルの看板を目にし、それが薬局や病院のシンボルになっていました。当時の私たち日本人には,あまり馴染みがないものでしたので、レベル2のコースで参加者にシリング札をお見せしようと思いつきました。
ロッジの窓から小高い丘が見えました。うっすら雪が積もりとても綺麗でした。その頂にはベンチが一つポツンと置かれていました。なぜかとても気になり次の朝早くまだ夜が明ける少し前に、その丘に登ってみました。小高い丘からはインスブルクの街が眼下に見えました。そして暫く一人ベンチに座り夜が明けるのを待ちました。夜が白み始めた頃、徐々にそしてゆっくりとペールブルーの空に、地上辺りがペールピンクになり始めました。そしてまさにB58:オリオンアンドアンジェリカ Pale Blue / Pale Pinkの色に染まりました。当時の私は、このボトルをよく選んでいたので、この神秘的な光景に暫く見とれていました。このときより前もその後も、これほど美しい朝の景色を経験していません。今でもしっかりと目に焼きついています。
インスブルクの街は、素敵なところがたくさんありますが、コース中はどこかに観光に出かけるほどの余裕もなく今にしてみればほんの少し残念な気もします。T2が終了するとL2のコースのティーチング予約が何カ所からか入っていましたので、T2のコース中からその準備に取りかかっていました。
レベル2の内容の中に、ヌメロロジー〔数秘学〕とそして当時はアストロロジー〔占星学〕がありました。実を言うと、T2では、言葉の関係もあり、その時はあまりよく分りませんでしたが、両方とも私がオーラソーマに出会う前にそれぞれについて深く学ぶ機会があり、十分慣れ親しんでいました。ヌメロロジーは、イギリス人の先生に学び、レベル4の論文のテーマとして更に独自に研究し、アストロロジーは、哲学的に研究をしている先生と出会い、その先生には生命の樹や、ジェムストーン(原石)との関連においても学びました。
オーラソーマと同じで、どちらも自分が探したわけではなく、また直接誘われたわけでもなく、いつも誰かが私と何かを結びつけてくれる人との出会いから始まっています。私にそれぞれを紹介して下さった人たちは、決してご自身がそれほど興味を持っているわけでもなく、またお会いしたことはあっても、私とそれほど親しいわけでもない人たちでした。そしてそれぞれの人が同じようなことを言いました。「自分には向いていないけど、なぜか環さんのことを思い出したの。」と。皆さんと元々がそれほど親しくなかったので、その時だけの不思議な繋がりの皆さんでした。でも私には、それが良かったのだと思います。
私は、どうやら強く勧められたり、誘われるとなぜか抵抗したくなるところがありますので、私が自然にその流れに抵抗せずここまで来ることができたのは、私に繋いで下さった方々のお陰だと思います。人と人との繋がりは本当に不思議なものだとつくづく思い出され、私の人生に関わって下さった皆さんに対して感謝の気持ちでいっぱいです。
T2時のいくつかの記憶が思い出されますが、オーラソーマに全く関係なく、ブログを書いていて今、突然思い出したことは、当時はまだ海外との行き来の際には、リコンファーム(フライトの予約確認)を48時間前までに航空会社にする必要がありました。もしそれを忘れると、自動的にチケットがキャンセルされてしまうことになるので、ロッジ(ホテル)から帰りのチケットのリコンファームのために航空会社に電話を掛けましたが、なかなか繋がらず結構大変でした。
時代の流れを感じます。今は本当に何もかもが、便利で楽になりました。
To be continued…
My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅩ.
2019 年 8 月 5 日
My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅩ.
§ 初めてのLevel 1コース➁ §
コース以外で気づいたことの一つに、オーラソーマコースでは基本ランチタイムは、イギリスでのコースと同様に一時間半ゆっくりと取ります。今では参加者もゆっくりランチタイムを楽しまれていますが、その当時の参加者の方は、一時間半という時間を持て余した様でした。
日本では、お仕事をしている方は、一時間のランチタイムというのが通常でした。今でもそうでしょうか。
私が会社で働き始めた頃は、50%外資系ではありましたが、職場には日本人が多く、日本人の上司に「仕事ができる人は、歩くのと食べるのが速い人だ。」と教わりました。早歩きは、体と脳の健康にいいそうなので、今では時折意識的に速く歩くようにしていますが、食べるのは、やはりゆっくりの方がいいですね。
(余談ですが、T1の時に、仲良くなったスペインやイタリアの人たちは、シエスタが有り、ランチタイムの後にお昼寝をする人が多いらしく、ランチタイムが一時間半では短すぎると言っていたことを覚えています。その後のDev Auraでのコースの時、日本人は比較的ランチの終了時間時は、セミナールームに戻って来ていますが、他の国の皆さんは、ベルを鳴らして呼びに行くことが多々あります。日本人は、時間に対して正確ですね。)
私がオーラソーマを始めた頃は、既にフリーランスになっていましたので、オーラソーマコースのランチタイムが一時間半という時間は、食事の後ゆっくりとコーヒーを飲むことができる喜ばしいものになっていました。
レベル1コースの初日、オーガナイザーの方とおしゃべりをしてゆっくりとランチを取り、それでも会場の鍵を持っているために、20分前に会場に戻りました。
しかし既にその時には、ほぼ全員の参加者が、ドアの前で待っていました。どうやらいつもの習慣で、50分位(一時間以内)で戻ってきていたそうです。
そして、「一時間半も何をしていればいいですか?」「早く始めましょう!」と言われたことが懐かしく思い出されます。
丁度同じ頃、私は一般のビジネスセミナーに参加しました。そこには、第一線で活躍されているビジネスマンの方や会社経営をされている方が参加されていました。ほとんどが男性だったと思います。その時の講師はアメリカ人で、その方が「ランチタイムは二時間です。食事後、ゆっくりお散歩などをして下さい。」と言った途端、参加者のほぼ全員が、「何のための散歩ですか?そんな時間の無駄なことをするくらいなら、その一時間で、早くセミナーを終了して下さい。できればその後会社に戻りたいので。」などの意見が多くありました。その時の会場は住友ビル内で、新宿中央公園の近くでしたので、講師の方は散歩をしたかったのでしょう。でも参加者の反対により、ランチタイムは、一時間になりました。私は、二時間の方が嬉しかったのですが、とても反対意見を言う勇気がありませんでした。私も、かつては、住友ビルでお仕事をしていましたが、一度もランチ後に散歩をすることは、考えたことがありませんでした。もちろんそのような時間はありませんでしたが。
今では、すっかりコース中の一時間半のランチタイムが、楽しみになっています。
もう一つ、新たな発見をしました。
それは、フラワーシャワーの素晴らしさです。オーガナイザーの方が、私がコース中少しでもくつろぐことができるようにと、わざわざ私にフラワーシャワーを1本下さったのです。
実は、それ以前に私はフラワーシャワーを使ったことがありましたが、その時の私の感想は、「これは、あまり良くない」というものでした。私の髪や肌は、とても乾燥しているので、それまでは、指触りの良いヘアーシャンプーやボディーシャンプーを使用していました。そして私の髪や肌、指がそれに慣れていました。それに比べてフラワーシャワーは、泡立ちもクリーミーではなくさっぱりとしすぎて物足りない感じがあったのです。ですので、一度使ったきりでその後は、使用していませんでした。
それでも、折角頂いたので使うことにしました。
するとコース中の疲れが、すっきりと取れたような気がしました。その時は気のせいかと思っていましたが、次の日の朝、なんと頭も体も軽くなっていたのです。この違いは、驚くほどのものでした。私は、改めてフラワーシャワーを見直しました。体に付いた汚れだけではなく、エネルギーフィールドを綺麗にしてくれるという感覚をはっきりと感じることができました。まさに軽やかになる感覚です。
それ以来20年間、手放すことができません。長期の旅には必ず持って行きます。メイクも落とせ、体も髪も全てフラワーシャワー1本で、その上、エネルギーフィールドまでが綺麗になる。今では、オーラソーマ製品の中のお気に入りの一つになっています。その時のオーガナイザーの方に、またまた感謝でいっぱいです。
私の最初のレベル1の体験は、自分自身やオーラソーマそして日本人の習慣に対してなど、気づきと感動の連続でした。そして参加者の皆さんからも色々学ぶことがありました。このときから、その後の私のオーラソーマティーチャーとしての活動が動き出し、ティーチングの機会が増えていきました。
To be continued…
My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅨ.
2019 年 7 月 28 日
My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅨ.
§ 初めてのLevel 1コース §
楽しみにしていた初めてのレベル1コースを迎えました。
コースには、14名の方が参加されました。
コースがスタートし、初めてお会いする皆さんに、私自身の短い自己紹介をしました。自己紹介と言っても、初めての方に、今までの私の経歴などの話しをすることはあまり好きではありませんので、その時、自然に私の中から出てきた言葉を話しました。
今もそうですが、毎回コースのスタートに当たって何かを話し出すのですが、いつも話す内容を考えて準備することはなく、寧ろその時私自身が話し出す内容に、私自身が興味を持っています。毎回異なっていますので、いつも「Here and Now」のライブ感覚です。
ただ、やはり最初のレベル1で話したことは、一言一句今もはっきりと覚えています。そして、今も尚、私の大切な指針になっています。
その時私が話した言葉は、「誰しも、毎日の生活の中では、いろいろなことが起こります。いつも楽しいことばかりではないかもしれません。それでもどんな時でも、しっかりと地に足をつけて、そして軽やかでありたいと思っています。だから私は、オーラソーマを選び、そしてこれからも続けていくと思います。」
この言葉は、自分自身のこととして誰かに話していると言うよりも、自分自身に話していたのだと思います。
この言葉を自分自身が聞いていて、最初に気づいたことは、2つのキーワード、「地に足をつける」と「軽やかでありたい。」です。
その時、改めて「そうなんだ。私にとって大切なことなんだ。」と確認できました。
まず「足が地につく:行動・気持ちなどがしっかりとして、落ち着いている」は、祖母の言葉として子供の頃から良く耳に馴染んでいた言葉でした。オーラソーマ的に言うと、「グラウンディング」「センタリング」「超然」の感覚でしょうか。
そして、もう一つの「軽やかでありたい」は、最初はなぜこの言葉が出てきたのか分かりませんでした。ただ何だかとてもしっくりきた感覚がありました。きっと当時は、軽やかとは言いきれない状態だったのでしょう。だから、「そうありたい」という言葉になったのかもしれません。
そして、後にこれらは、「オーラソーマシステム」そのものだということが分かり、私がオーラソーマに惹かれた理由が更に明確になったことを覚えています。
次に、コース中のこととして記憶に鮮明なことは、オーラソーマを説明するときに欠かせない「色」「鉱物」「植物」についてです。
何しろ当時の日本では、まず鉱物(クリスタル・ミネラル)について参加者がピンとこないことはもちろんのこと、それ以前に、植物、特にそもそも「ハーブ」という言葉も聞いたことがない方々がほとんどでした。その頃日本では、丁度イタメシ(Italian Food)がブームになりかけていた頃で、イタリアンのメニューには、バジルやローズマリーが使われ始めたころでした。できるだけ参加者の方が、イメージしやすくなるよう、段階を経て日本のハーブの一種として古くから薬草として使われていたことなどいろいろ例え話をしました。もちろんまだ日本では、アロマセラピーという言葉もほとんど誰も聞いたことがない頃です。
その後の何年かは、レベル1ではいつも「ハーブって何?」の説明から始まりました。
このようにして、重要と思われることで、参加者がわかり難いことを、分かりやすく説明をする訓練ができました。そして当時色々苦慮したお陰で、いつの間にか、分かりやすい説明が定評になりました。
もちろん、私が、分からない、知らないことに対する質問を受けるときもありました。重要と思われることは、確認して後ほど応えることもあります。ですが、どんな質問にも応えるというわけではありません。オーラソーマコースの内容に全く関係がない質問には、「ごめんなさい。わかりません。」と応えることも、他の参加者のためにも、話が本題から逸れてしまわないためにも大切なことだと思っています。
他にも言葉について、とてもご紹介しきれないたくさんのことがありました。25年近い時の流れの中で、最近では、オーラソーマコースでの説明が、本当に楽になりました。
To be continued…
My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅦ.
2019 年 7 月 8 日
My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅦ.
§ 初めてのLevel 1コースに繋がるまで ② §
Dev Auraにてティーチャーコースに参加している時は、ただそこにいてマイクの言葉を全体的なものとして捉えている感覚でした。自分のためのみの参加の場合は、それで良かったのだと思いますが、ティーチングとなると、細かいところまでの確認が必要だと思いました。
その時まさにタイミング良く、海外のティーチャーが来日し、レベル1の開催がありましたので早速そのコースに改めて再受講することにしました。
そこでは、知識などでは学ぶことができない重要なそしてかなり衝撃的な経験と向き合うことになりました。それは、そのタイミングでティーチャーになろうとしていた私にとって、後に最高のギフトを開くことになる経験でした。
そしてまさにその時、私はその何年か後に私の一番目のボトルであることが明らかになるB50:エルモリアPale Blue/Pale Blueのボトルを使っている最中でした。
当時は、エルモリアが私の一番目のボトルをという認識ではまだありませんでしたが、後に一番目のボトルを使うことは、「人生のレッスン・使命と目的」つまり「何のために生まれて、そしてそれをどのように生きていこうとしているのか。」が明らかになっていく可能性がある。ということが、その時の経験から今ではとても腑に落ちています。
レベル1コースの再受講後、まだまだ不確かなことがたくさんありましたので、英語版のティーチャーノートを、辞書を片手に読み込みました。幸いなことに、ティーチャーノートがまだ日本語になっていなかったことで、知識として覚えただけでは、自分の生きた言葉(オーラソーマ的に言うと、内なる星・スターからの言葉)にならないということにも気づきました。
そして、すらすらと英語が十分理解できない状況だったお陰で、英語の感覚と日本語にしたときの微妙な感覚の違い、私たち日本人としての背景など、同じ英単語でも幾つもの日本語の解釈ができること、またその日本語自体についても受け取り方、日本語で有りながら、今までその言葉の日本語としての理解が、人によって様々異なるなど、これは、本当に微妙な理解のすり合わせが必要だと、痛切に感じました。
そのための一つ一つの確認作業は、とても時間が掛かり確かに大変でしたが、その後日本語訳された各コースワークブックができたときに、そこに書かれている言葉の誤訳などが、日本語訳を読むだけで気づけるまで、深く理解できるようになっていました。
またこの流れでのその後のティーチング経験により、コミュニケーションの基本原理の一つとして、『同じ言葉を聞いても聞く人によって7通りの捉え方がある。言い換えれば、そこに7人いれば同じ話でも、それぞれの人がそれぞれの人の理解で聞いている。』という発見にも繋がり、今の私に、どのようなコミュニケーションの場所においても、非常に役に立っています。
そして、何よりも私にとって幸いだったことは、全てのボトルの意味やボトルの名前などが書かれた本(テキストも含む)がまだない時代であったことが、オーラソーマ哲学の最も基本原理である「答えはクライアント自身の中にある」ということを、レベル1から参加者に伝えていけたことだと思います。
もちろん、これは知識や情報が全く必要ないということではなく、ボトルの意味を暗記することよりももっと大切なことがあること。外側の情報に囚われてしまうことによって、自分の内側に対する信頼から離れてしまい易くなるということ。
もしかすると「自分の内側に対する信頼を持つことができない」と思い込んでいる場合、気づかないうちに、それを埋めようとして、外側の知識や情報の方が、自分自身よりも「正しい答え」と思ってしまうということになるのかもしれません。
これは、オーラソーマだけのことではなく、現在のような情報過多、そして情報のスピードが速すぎる現代を生きている私たち全ての人々にとって、大切なことかもしれません。
時間を掛けてゆっくりと徐々に自分の内側にあるものに対しての信頼を高めていくことが、今現在、そしてこれからを少しでも生きやすくしてくことに繋がっていると思います。
私は、今までの経験から、そのための非常に有益なツールの一つが、オーラソーマシステムだと思っています。
「あなた自身を思い出したいと思う人は、私のところにいらっしゃい。」(ヴィッキー・ウォール:オーラソーマシステム創始者)
※追記:
上部写真は、一番初期のTeacher’s Notes とレベル1ファンデーションコースワークブック(日本語版)です。
最初の(日本語版)ワークブックには、ボトルに関する情報として、ボトルのナンバーとボトルの色、簡単なキーワードのみが書かれていました。B0~B30までのボトルのみに、ボトルの名前らしきものと補足説明が、書かれていました。このことが幸いし、当時はボトルについての情報を暗記するという発想にはならなかったのかもしれません。
To be continued…
My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅥ.
2019 年 7 月 2 日
My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅥ.
§ 初めてのLevel 1コースに繋がるまで ①§
Teacher Training Level 1が終了し、今まで通りイメージコンサルタント及びメイクアップアーティストとして、またそれぞれのプロフェッショナルの養成コースなども開催していました。
と同時に、口コミなどのお陰で、オーラソーマコンサルテーションを続けて行なっていました。まだ、自分自身でオーラソーマコースを開催するというプランは、その時は相変わらず具体的なものはありませんでしたが、ただコンサルテーションが何よりも重要で、基本だと思っていました。
そのような状態の中で、海外のティーチャーがオーラソーマコースを教えるために来日した際には、レベル1やレベル2を再受講したりしていました。
そんな折り、Dev Auraでブリッジコースの開催が有り、私は日本からの参加者のサポートとして参加することになりました。そのブリッジコースに参加していたお一人が、私の名前を見た瞬間に、その方曰く、「立和田 環」と言う名前に、まだ私とは会っていないにもかかわらず、何か強い閃きがあったそうで、ブリッジコースを修了したら、自分でオーラソーマコースをオーガナイズし、私をティーチャーとして招きたいと、思いついたそうです。
そして思いがけずDev Auraで私に出会い、「これは間違いない」と、思われたそうで、出会った瞬間に、「参加者を集めるのでコースを教えに来て下さい。」と申し込まれました。
あまりにも突然のことで、また私は、いつものように「そのうち機会があれば。」とお返事しました。
そして、ブリッジコースが終わりお別れの際に、もう一度頼まれた時にも「そのうちタイミングが合えばね。」と言葉を濁してお返事しました。
ところがそれからわずか数日後、その方からお電話があり、「3ヶ月後の○月○日~○日までの6日間、スケジュールを空けて頂くことはできますか?」と言われ、確かに3ヶ月先の日程でしたので、スケジュール的にはその週にはまだ仕事の予定が入っていませんでしたが、その前に、本当に連絡が来たことに驚きました。そして私の心の準備が整っていませんでしたので、お断りをしようかと相変わらず言葉を濁していたときに、「実は、すでに会場を予約し、新聞に生徒募集の記事を載せる契約をしてきました。」と言われました。そしてその記事に、講師として私の名前を掲載したとのことでした。
ここまで段取りを整えて下さったことに対して、本当に有り難いと心から感謝しました。そしてさすがに、ここでお断りをするわけにはいかない。と覚悟を決めお引き受けしました。
私は、今までも何かを決めるまでは結構面倒ですぐ先延ばしにしてしまい、なかなかスタートができませんが、ただ一旦やると決めると、その後は何があっても全く迷わずに、我ながらかなりの集中力がでます。
今までも、そのようにしてうまく乗り越えてくることができたので、良くも悪くもいつも心の中で、『やるべきことをやっていれば、必ずなんとかなる』と、ある意味で楽天的なところがあります。
そこから、初めてのレベル1コース開催に向けて自分自身の準備を始めました。
今、こうやって改めて自分自身について振り返っていると、今更ながらに有ることに気づきました。
どうやら、私は自分のための目標に対しては、面倒くささが出て、あまり夢とか目標とか持つことにすらエンジンが掛からない。でも、確かに、誰かに期待をされるといつも全力でそのことを成し遂げる。私が力を尽くすことで、誰かが喜ぶことが、私の喜びなのでしょう。
子供の頃に、母に言われてたことをふと思い出しました。「環は、お父さんに似て、誰かの為に一生懸命になることはとてもいいところなんだけど、お父さんは人が良すぎて利用されてばかりだから環も大人になったら気をつけなさい。」確かに、父は本当に無欲な人です。でもそのことに対する不満や愚痴は、聞いたことはありません。
そういえば、主人もその点では、父と同様、人のために全力を尽くし、自分のためには、本当に無欲な人です。
〈余談ですが、主人とは最初がプロポーズでした。その時、主人のことをあまりよく知らなかったので、どのような考え方を持っている人なのかを知るために、いくつかの質問をしました。その中で、「あなたの将来の夢は何ですか?」と聞くと、驚いた顔をして、「夢?」「そんなこと、今まで考えたことがないかなあ。」このやり取りは、私が21歳、主人は24歳でした。きっと今聞いても同じことを言うと思います。(笑)〉
〈あっ! 今思い出しました。7月1日は、私たちの36回目の結婚記念日でした!!もう過ぎている(^_^;) こうやってほぼ毎年忘れている(*^_^*)〉
To be continued…
My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅣ.
2019 年 6 月 17 日
My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅣ.
§ Teacher Training Level 1 ④-Dev Aura§
~なぜ私は今ここにいるのか?~
「あなたはなぜ今ここ(Teacher Training Level 1)にいますか?」
このマイクからの問いかけに対して
「私は、なぜ今ここにいるのだろう???」と自分自身に問いかけました。
しかし答えは出ず、その日の夜もまたよく眠れないまま次の日の朝を迎えました。ベッドの中で時計を見ると、丁度5時でした。外はほんのり薄明るくなっていました。ルームメイトを起こさないようそっと部屋を出て、下のダイニングルームへ静かに降りて行きました。
誰もいないダイニングルームは、静寂そのものでした。私は、ソファーに腰を下ろし、何をするわけでもなく、静かにただそこにいました。暫くして私はソファーの横の小さなサイドテーブルの上に、小さなグラスに入ったエンジェルカードに気づき、おもむろに1枚カードを選びました。そのカードには「Responsibility」と書かれていました。さして気にとめることもなく元あったグラスの中に戻しました。
その日も私の順番にはなりませんでした。
次の日の朝、目覚めると時計はまた5時丁度でした。昨日も今日もアラームによって目が覚めたのではなく、なぜか同じ時間に自然に目覚めたのです。
私は昨日と同じようにダイニングルームへ行き、ほんの暫くぼぅっ~とし、することがないのでまたエンジェルカードを選びました。そのカードは、またもや「Responsibility」でした。「?!」この偶然に少し驚きました。でもすぐに「まあ。そういうこともあるだろう。」と気にもとめずにその日を過ごしました。
その日は、明日はいよいよ間違いなく私の番が来るというところで終わりました。それでも私の中には、何の答えも見つからないままでした。
3日目の朝、やはり5時丁度に目が覚めました。また同じようにダイニングルームへ行き、ソファーに腰を下ろし、ふと、そういえば、2日間続けて同じカードを選んだことを思い出し、今度は、もっとしっかりシャッフルしました。何か今日発表するヒントが欲しいと思い、普段の私らしくなく藁をも掴む思いでした。
そしてカードを見て「えっ!」思わず声を出しました。そこに書いてあったのは紛れもなく「Responsibility」でした。
さすがの私も、3日間続けて選んだ「Responsibility:責任、するべきこと、職務、任務・・・???」英語の意味を知っていたとしても、これは一体私にとってどのような意味があるのだろう?
考えていてもその答えは出ず、気分転換にDev Auraを出て、朝の爽やかな、清々しい空気の中で散歩に出かけました。
そして、コースが始まりいよいよ私の番が来ました。
驚くことに私は話し始めたのです。十分とは言えない英語で。
「私は、オーラソーマによって、今まで気づいていなかった自分自身の不自由さから自由になろうとしている。
日本には、私と同じように社会や家族、教育などの環境の中で、長い間に慣れてしまったことで、自分の可能性を、自分自身を、不自由にしていることに気づいていない人たちが、たくさんいる。
その人達のためには、日本の社会や風習などを理解することができる日本人のプラクティショナーが必ず必要になる。
その日本人のプラクティショナーには、日本人のティーチャーが必要になる。
だから私は今ここにいる。」
と話していたのです。
うまく英語で話せたかどうかは、その時の私にとっては重要ではなく、私は、自分が話している言葉、その思いを聞いて、「そういうことなんだ!」と自分自身のことにもかかわらず、やっと気がつきました。
このことが、私にとっての「Responsibility」が現す答えだと思いました。
だからこそ、その時の私の思いは、20年以上経った今までも、一度もぶれたことがありません。
それから何年か後、マイクは「その時の私の言葉を覚えている。」と言っていました。
P.S.(後書き)
10年以上後に、マイクはコースの中で「Responsibility」とは「Response」-「ability」つまり :「反応・応答」する「能力・才能」のことを言う。と何度も話しています。
「なるほど。」と思いつつ、20年以上経った今も、自分自身の答えを私は自分の道の上で、洗練し続けていると思います。
※上部写真は、ここ最近のDev AuraのLiving Roomの写真です。
当時は一人がけではなく長いソファーだったと思います。
To be continued…
My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅠ.
2019 年 5 月 27 日
Teacher Training Level 1-Dev Aura
ロンドンのキングスクロス駅から列車で約1時間半のところにグランサムという駅があります。そこがDev Auraに行くための最寄り駅になります。
(現在のキングスクロス駅は新しく改築されましたが、当時の駅は、あの「ハリー・ポッター」シリーズの撮影で使われたことで有名です。)
最寄り駅のグランサム駅は、とても小さな駅でした。改札口とは反対のホームに列車が到着しましたので、スーツケースを持って階段の上り下りをしなければならないと覚悟をした時、私の後ろからイギリス人男性が、「運びましょうか?」と声をかけてくれました。
私は、もちろん「ありがとうございます。お願いします。」を笑顔で即答しました。実は、その後も何回も列車でDev Auraに行きましたが、幸いなことに乗降客があまりいない小さな駅にもかかわらず、いつも誰かイギリス人男性が私のスーツケースを持ってくれましたので、今まで一度も重いスーツケースを持って階段の上り下りをしなくてすみました。
さすが紳士の国だと本当に感動しました。
そういえば、のちに聞いたことがあります。このような状況の場合、日本人は自分の重い荷物を持ってもらうことに遠慮をして「大丈夫です。」と断ってしまう人が多いそうですが、声をかけた方は、他人の荷物を運ぶことを怪しんで断られたと感じてしまう人もいるそうです。もちろん、相手によるかもしれませんので、特にロンドン(都会)などでは気をつけた方がいいかもしれません。
グランサム駅では、Dev Auraからミニバスがお迎えにきました。最寄り駅と言ってもそこからDev Auraまでは車で約40~50分ほど、のんびりとイギリスの美しい田園風景の中を走ります。
グランサム駅でミニバスに十人ほどのドイツ人の方と同乗しました。今回のコースには、ドイツ語のみ通訳が付くと言うことで、ドイツ人の方の中には、少し英語が分かる人やほとんど英語を話すことができない方もいました。Dev Auraまでは長い道のりでしたのでミニバスの中で私の名前と、日本から来たことを、片言のドイツ語で、自己紹介をしました。その後はお決まりの、挨拶やお礼などを日本語でどのように言うかなどを、皆さんから興味深く尋ねられましたのでシェアしました。本当に片言のドイツ語でしたが、何だかとても喜んでくれました。ほとんどの方が私よりずいぶん年齢が上の方のように感じました。
Dev Auraに到着し、私の部屋は2階(イギリスでは1F)階段を上ってすぐ右側の外階段が付いている3人部屋でした。
Dev Auraは現在とは大きく異なり、とてもかわいいコテージのようでした。現在のようにデジカメや、ましてや携帯電話で簡単に写真を撮るような時代ではありませんでしたが、私の記憶には鮮明に残っています。
キッチンの隣には、今と同じリビングが有りましたが、現在のような広いダイニングルームはありませんでした。奥には、広さが現在の半分ぐらいのセミナールームが有り、セミナールームに続く細い廊下の壁に添って長いカウンターテーブルが置かれていました。私たちは皆、横に並んで壁や窓に向かって食事をするようになっていました。
確かその壁には、Dev Auraができる前、森林だった現在の土地をヴィッキーが購入し、開墾中のシャベルや鍬をもったマイク達の写真が貼ってあったように思います。
私は、スイスとオーストリアからの参加者と同室でした。お部屋には、ヴィッキーが使っていたというダブルベッドが置かれていて、他には2段ベッドがありました。2人とも2段ベッドの上に上るのがつらいとのことで、一番若い私が2段ベッドの上を快諾しました。スイス人(マリーア)は英語がとても堪能でした。オーストリア人(キャリーナ)の方は、ほとんど英語が話せないとのことでしたので、マリーアが通訳をしてくれました。二人ともお仕事はすでにリタイアし、マリーアはスイスの教会で子供達のお世話をしていました。キャリーナは、オーストリアのチロル地方でご主人や仲間とアルプスの民族衣装を着て歌やダンスを披露しているとのことでした。
すでにコースが始まる前に、私はあまりにも日常と異なる環境に戸惑いながらも何だか未知なる冒険の旅をしているような気分でした。
To be continued…
My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅨ.
2019 年 4 月 22 日
§ オーラソーマコンサルテーションを始めた時 ②§
以前にも書きましたが、私がコンサルテーションを始めた頃は、日本にはティーチャーが一人も存在せず、ワークブック(テキスト)もなく、ボトルについての情報というものがほとんどありませんでした。
寧ろ私にとっては、まさにそのことが幸いしました。
何度かコンサルテーションを行っている内に、同じボトル、同じ色を選ぶ人たちに共通点があることに気づきました。また日本という社会性、教育、環境の中での共通の条件付けのようなものにも気がつきました。それはまた私自身の中にあるものでもありました。
このようにして、コンサルテーションを行うことによって、クライアントの方から多くのことを学ぶことができました。つまり私のティーチャーは、クライアントの皆さんでした。
それは、ボトルについてだけではなく、私自身についても同様です。
そしてコンサルテーションを始めた頃から、私にとっては、「こんなに有り難いお仕事はない」ということに気がつきました。
ほとんどのお仕事の場合、お金を頂くときは、お金を受け取る側がお礼を言います。ですが、このお仕事は、たくさんの「ありがとう。」の言葉受け取り、更に自分自身の成長につながり、そしてお金まで頂けるお仕事。そしてこれらと同時にクライアントの皆さんの笑顔と幸せのエネルギーのお裾分けを頂ける。
だからこそ、私も感謝と共に、全てのコンサルテーションに対して、誠実に向き合い最善を尽そうとうと思いました。
オーラソーマティーチャーとしても、コンサルテーションは最も大切なお仕事の一つであることは言うまでもありません。
これらのことに気づいたときに、子供の頃に祖母に言われた言葉を思い出しました。
祖母は、25歳の時に列車の脱線事故で突然夫(私の祖父)を失い、2歳(母)と生まれたばかりの子供(叔母)を抱え、戦後の混乱の中、自らの会社を起こしました。
私の想像の中ではきっと大変な苦労をしたのだと思いますが、祖母は、「あの時代は皆そうだったから。」とにっこり笑ってさらっと言っていました。そして私が生まれた時に、45歳で会社の経営から引退をし、私を育てながら私に多くのことを教えてくれました。
そして、その教えの中に
「お金は追いかけたら逃げる。どんな時も感謝を忘れずに、世の中の人が喜ぶことをやりなさい。そうすればお金は必ず自然に後からついてくる。」「そしてそのためにも本物を見極めること」という言葉があります。祖母の経営哲学です。
小さな子供達を抱えてまともに食べるものさえない時代からも、会社を運営しているときも、先を見据えて、決して目の前のお金を得ることを考えてはいなかったそうです。祖母は本当の意味で地に足が付いた生き方をしていました。
そして、祖母の言葉の通り、小さい頃から本物を見極める目を養うことも教わりました。
オーラソーマをお仕事として選択したときに、このお仕事は世の中の人が喜ぶ仕事だと確信しました。そして本能的に本物であると分かりました。だから何があったとしても今まで不安に思ったことは一度もありません。
祖母の生き方の極意は、今も私の中で生きています。
To be continued…