Over the Rainbow 〜7色の架け橋〜

立和田 環(Tamaki Tachiwada)

株式会社ヒューマンクリエイティブアカデミー代表
外資系企業においてマーケティングコンサルタントを経験後、イメージコンサルタントとして活動。『人と色』との関わりを数年にわたって探求し、『オーラソーマ』と出会う。
その後、イギリスオーラソーマアカデミー公認講師として10年以上に渉り全国のオーラソーマ・プラクティショナー(開業セラピスト)の育成に携わり、現在は、マイク・ブース学長の代理として、日本におけるオーラソーマ・ティーチャートレーニングLevel 1コースを教える講師でもある。
また、アメリカにて『神経言語プログラミング(NLP)』トレーナーの資格取得。

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My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅩⅢ.

2019 年 8 月 26 日


My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅩⅢ.
§ 人生の選択 §

T2参加後、各地でレベル1及びレベル2のティーチングの要請を頂き、だんだん忙しくなってきました。
自分自身でスクールを開校するというアイディアもありますが、まずはティーチングの経験を積むことを優先しようと思いました。今では私にとって、それはベストな選択だったと思っています。お陰で毎月のようにどこかでコースをティーチングする機会に恵まれ、オーラソーマに対する理解はもちろん、ティーチャーとしてのティーチングスキルを磨くことができました。もちろん現在もまだまだ成長し、進歩し続けています。終わりがないことが私にとっては、自分自身が変化し、成長していく楽しみに充実感を感じるのだと思います。

その時は、特別意識していつ開校するという目標のようなものを持っていたわけではありませんが、なんとなく二年間位は、フリーとしてたくさんの経験を積もうと思っていたように思います。
ただ、いつかは自分のスペースを持つことになるだろうと思っていましたので、オーガナイザーの皆さんには、ご本人がもし望むのであれば、いずれティーチャーになってご自身でコースを開催できるように、いつもコースに参加して頂きながらお勧めしていました。
そして私自身の中で、きっといいタイミングが来れば、分るような気がしていました。

その頃、私にはもう一つ重大な選択の必要が起こりつつありました。
それは、その当時長年本業としてイメージコンサルタント及びメイクアップアーティストの養成講座・個人的なお客様へのコンサルタント・企業での講演、また卒業生へのサポートとして、様々なマテリアルの制作などを行なっていました。
これらは、私にとって間違いなく好きでやりたいことでした。確かにその仕事を行なっている時、とても楽しんでいました。オーラソーマティーチャーになってからも、オーラソーマと両方一緒に続けていくつもりでしたし、私にどちらかを選択するということは、考えられない状況でした。ですが、オーラソーマティーチャーとしての仕事が増えてくるに従って、スケジュール調整が難しくなってきたことで、気持ちでは十分続けられると思っても、実際には体は一つしかないという現実がそこにはありました。そして私が、Teacher Training Level 3を終了した頃から、益々スケジュール的に状況が難しくなり、これからも私の思いだけで両方続けていくことは、私のエネルギーが2分されてしまい、中途半端な状況が万が一もし起これば、それは寧ろ無責任になってしまうのではと思うようになりました。
もちろんそれは人によっては、うまくやり通せる方もいらっしゃるとは思いますが、私はどうやらそれほど器用ではないらしく、だんだんオーラソーマ以外の仕事の依頼が入ると「なぜだか申し訳ない」という感覚が出てきていることに気がつきました。
意識にある私の思考では、「ここでやめてしまうのは、無責任になってしまう。」そして感情では、「続けたい。生徒さんやクライアントの皆さんに申し訳ない。」といつもそういう反応が起こっていました。それにも関わらず、私の無意識にある答えはどちらを選択するのか既に決まっていて、私の感情と思考がその応えに対して、抵抗しているだけだということに気づいてしまいました。

それに気づいたことで、もはやこのままにしておいては、迷惑を掛けてしまうことになると思い、イメージコンサルタントの仕事に終止符を打つための準備を始めました。それは、一年ほど掛かりました。そして簡単なことではありませんでしたが、最後は皆さんに理解してオーラソーマでの仕事を応援して頂き、その後20年間毎年年賀状を頂いたり、その関係は今でも続いています。

その時の思いがあり、きっと私は現在オーラソーマのみに集中しているのだと思います。もちろん私自身もこれから先のことは分りませんが。(笑)

To be continued…

日時 : 19:11 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅩⅡ.

2019 年 8 月 19 日


My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅩⅡ.
§ レベル1コースに参加―立和田正 §

今回は、久々に主人(立和田正)について書きます。
過去にも主人が私の初めてのコンサルテーションの練習相手として最悪な結果だったこと、そしてその後の主人のオーラソーマに対する変化などを書きましたが、いよいよ主人が私のレベル1に参加することになりました。
ただ、積極的な参加というよりも、私が沖縄にレベル1をティーチングに行く際に、今まで私も主人も沖縄には行ったことがなかったことから、コース終了後何日間か沖縄を観光しようということになったのがきっかけでした。
その時のコースは、オーガナイザーの方がいましたので、正式な受講料を支払っての一人の生徒としての参加でした。主人は、コース代金をオーガナイザーに支払うことは当然としても、なぜ私への講師料も支払ったんだろう?と後で気づいてブツブツ言っていましたが、「そこは、当然でしょ。」と私。
参加者は、確か12~14名ほどだったと思います。
もう一つ、ブツブツ言っていたことは、分らないことを私に聞いてもコース中の質問には答えても、コース以外では、「自分で答えを見つけて。」と他の参加者と不公平になるので、敢えて何も説明をしなかったことでした。主人は「冷たい!」と言っていました。
私は、知らなかったのですが、コース中他の参加者の方からは、「立和田さんは、分らないことは、いつでも奥さんに聞けていいですね。」と言われていたそうです。
主人は毎日ホテルに帰った後、ベッドに横になりながらテキストを広げて色彩の言語の復習をしているようでした。でもベッドに横になりながらなので、すぐに寝てしまっていました。(笑)
それでも感心なことに、毎日必ずテキストを広げていましたので、6日間コースの5日目に、「どこまで進んだの?」と聞いてみました。
すると主人は、「レッドの目覚め」と答えました。「えっ?一番最初のところ?」
当時のテキストは、最初の色がレッドから始まっていました。そこには、「目覚め」という言葉がありますが、「目覚めとはどういうことなんだろう。」と考えているとなぜだか眠くなり、いつもそこで寝ていたので、結局全然進んでいなかったようです。二人で大笑いをしました。

そういえば、主人は、まるでON/OFFのスイッチがあるかのように、体を動かしているか、寝ているかのどちらかで、体が止まっていると5~10分で寝てしまいます。いつも何か行動しながら考えたり、テレビを見ている時も何かをしながら見ているので(しかも1.3倍速で)、ただ普通にテレビだけを見ているという姿や、もちろんボ~ッとリラックスをしているという姿は、結婚して36年、未だに見たことがありません。ボ~ッとしているくらいなら、寝た方が体にはいいと言っています。
そんな主人が、ベッドに横になりテキストの字を見ながらでは、それは当然寝るための準備をしているようなものでした。それでも6日間のコース中、ずっと座っていても居眠りすることなく、コースが終えられたことが驚きでした。

コースが終了し、2日間ほどレンタカーを借りて沖縄観光をしました。11月の沖縄は、丁度いい涼しさで、とてものんびりといろいろなところを回ることができ、また途中、木陰に車を止めお昼寝をしたりして楽しい旅になりました。

その後暫くして、主人はマイクとクローディアの来日に合わせて、マイクのレベル3に参加しました。その際に車での移動の運転手をすることになり、車好きのマイクと車の話しや特に運転の仕方で意気投合したようでした。今でも、主人の運転には信頼を置いているようで、車で移動するときは、マイクは安心して助手席でよく寝ることができると言っています。

レベル3コースが終了した時に、マイクが主人に、コースに参加してどうだったかを聞いた時に、主人は、「頭で考えるのではなく、感じるということが分った。」と、言ったことに対して、マイクは一言「Very Good!」と言っていました。その時のマイクの表情と言葉で、主人は「これでいいんだ。」と思ったそうです。

その頃から、徐々に主人は人生の転機を迎えることになり、当時は、思ってもいませんでしたが、いつの間にか、主人はオーラソーマを仕事として取り組むようになりました。

To be continued…

〔アーカイブ〕
2018年11月からMy history with Aura-Somaのシリーズは、今回で32回目になりました。途中からお読み頂いている方から私がオーラソーマをスタートした頃のストーリーを読みたいとご要望頂きました。ありがとうございます。下記URLで1回目~4回目をお読み頂けます。
その後は、【過去の記事】のところを月順に進んで頂けましたら1回目~今回の32回目まで全てお読み頂けます。
https://www.hmc-a.com/tamaki/?m=201811

日時 : 15:59 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅩⅠ.

2019 年 8 月 12 日


My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅩⅠ.
§ Teacher Training Level 2コース §

レベル1コースのティーチングを何回か経験をし、Teacher Training Level 2に参加しました。コースが開催された場所は、オーストリアのチロル州都インスブルクでした。雪が積もるインスブルクの街郊外にある小さなロッジのようなホテルでした。インスブルクは、かつて冬季オリンピックが開催された場所として記憶がありました。T1に引き続き、ドイツ語の通訳がついたドイツ語圏からの参加者が多いコースでした。ほとんどの参加者がT1からの参加者でしたので、今度は顔見知りの人も多く、ドイツ語は分りませんが、少し慣れた雰囲気がありました。

当時のオーストリアのお金は、まだユーロが導入される前で、オーストラリアシリングが使われていました。そしてお札には、丁度レベル2の古代の知恵で学ぶ2ひきの蛇のヘルメスの杖が描かれていました。さすが医術が発展した国らしく、街の中にも、同じシンボルの看板を目にし、それが薬局や病院のシンボルになっていました。当時の私たち日本人には,あまり馴染みがないものでしたので、レベル2のコースで参加者にシリング札をお見せしようと思いつきました。

ロッジの窓から小高い丘が見えました。うっすら雪が積もりとても綺麗でした。その頂にはベンチが一つポツンと置かれていました。なぜかとても気になり次の朝早くまだ夜が明ける少し前に、その丘に登ってみました。小高い丘からはインスブルクの街が眼下に見えました。そして暫く一人ベンチに座り夜が明けるのを待ちました。夜が白み始めた頃、徐々にそしてゆっくりとペールブルーの空に、地上辺りがペールピンクになり始めました。そしてまさにB58:オリオンアンドアンジェリカ Pale Blue / Pale Pinkの色に染まりました。当時の私は、このボトルをよく選んでいたので、この神秘的な光景に暫く見とれていました。このときより前もその後も、これほど美しい朝の景色を経験していません。今でもしっかりと目に焼きついています。

インスブルクの街は、素敵なところがたくさんありますが、コース中はどこかに観光に出かけるほどの余裕もなく今にしてみればほんの少し残念な気もします。T2が終了するとL2のコースのティーチング予約が何カ所からか入っていましたので、T2のコース中からその準備に取りかかっていました。

レベル2の内容の中に、ヌメロロジー〔数秘学〕とそして当時はアストロロジー〔占星学〕がありました。実を言うと、T2では、言葉の関係もあり、その時はあまりよく分りませんでしたが、両方とも私がオーラソーマに出会う前にそれぞれについて深く学ぶ機会があり、十分慣れ親しんでいました。ヌメロロジーは、イギリス人の先生に学び、レベル4の論文のテーマとして更に独自に研究し、アストロロジーは、哲学的に研究をしている先生と出会い、その先生には生命の樹や、ジェムストーン(原石)との関連においても学びました。
オーラソーマと同じで、どちらも自分が探したわけではなく、また直接誘われたわけでもなく、いつも誰かが私と何かを結びつけてくれる人との出会いから始まっています。私にそれぞれを紹介して下さった人たちは、決してご自身がそれほど興味を持っているわけでもなく、またお会いしたことはあっても、私とそれほど親しいわけでもない人たちでした。そしてそれぞれの人が同じようなことを言いました。「自分には向いていないけど、なぜか環さんのことを思い出したの。」と。皆さんと元々がそれほど親しくなかったので、その時だけの不思議な繋がりの皆さんでした。でも私には、それが良かったのだと思います。
私は、どうやら強く勧められたり、誘われるとなぜか抵抗したくなるところがありますので、私が自然にその流れに抵抗せずここまで来ることができたのは、私に繋いで下さった方々のお陰だと思います。人と人との繋がりは本当に不思議なものだとつくづく思い出され、私の人生に関わって下さった皆さんに対して感謝の気持ちでいっぱいです。
 
T2時のいくつかの記憶が思い出されますが、オーラソーマに全く関係なく、ブログを書いていて今、突然思い出したことは、当時はまだ海外との行き来の際には、リコンファーム(フライトの予約確認)を48時間前までに航空会社にする必要がありました。もしそれを忘れると、自動的にチケットがキャンセルされてしまうことになるので、ロッジ(ホテル)から帰りのチケットのリコンファームのために航空会社に電話を掛けましたが、なかなか繋がらず結構大変でした。
時代の流れを感じます。今は本当に何もかもが、便利で楽になりました。

To be continued…

日時 : 23:36 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅩ.

2019 年 8 月 5 日


My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅩ.
§ 初めてのLevel 1コース➁ §

コース以外で気づいたことの一つに、オーラソーマコースでは基本ランチタイムは、イギリスでのコースと同様に一時間半ゆっくりと取ります。今では参加者もゆっくりランチタイムを楽しまれていますが、その当時の参加者の方は、一時間半という時間を持て余した様でした。

日本では、お仕事をしている方は、一時間のランチタイムというのが通常でした。今でもそうでしょうか。
私が会社で働き始めた頃は、50%外資系ではありましたが、職場には日本人が多く、日本人の上司に「仕事ができる人は、歩くのと食べるのが速い人だ。」と教わりました。早歩きは、体と脳の健康にいいそうなので、今では時折意識的に速く歩くようにしていますが、食べるのは、やはりゆっくりの方がいいですね。

(余談ですが、T1の時に、仲良くなったスペインやイタリアの人たちは、シエスタが有り、ランチタイムの後にお昼寝をする人が多いらしく、ランチタイムが一時間半では短すぎると言っていたことを覚えています。その後のDev Auraでのコースの時、日本人は比較的ランチの終了時間時は、セミナールームに戻って来ていますが、他の国の皆さんは、ベルを鳴らして呼びに行くことが多々あります。日本人は、時間に対して正確ですね。)

私がオーラソーマを始めた頃は、既にフリーランスになっていましたので、オーラソーマコースのランチタイムが一時間半という時間は、食事の後ゆっくりとコーヒーを飲むことができる喜ばしいものになっていました。
レベル1コースの初日、オーガナイザーの方とおしゃべりをしてゆっくりとランチを取り、それでも会場の鍵を持っているために、20分前に会場に戻りました。
しかし既にその時には、ほぼ全員の参加者が、ドアの前で待っていました。どうやらいつもの習慣で、50分位(一時間以内)で戻ってきていたそうです。
そして、「一時間半も何をしていればいいですか?」「早く始めましょう!」と言われたことが懐かしく思い出されます。

丁度同じ頃、私は一般のビジネスセミナーに参加しました。そこには、第一線で活躍されているビジネスマンの方や会社経営をされている方が参加されていました。ほとんどが男性だったと思います。その時の講師はアメリカ人で、その方が「ランチタイムは二時間です。食事後、ゆっくりお散歩などをして下さい。」と言った途端、参加者のほぼ全員が、「何のための散歩ですか?そんな時間の無駄なことをするくらいなら、その一時間で、早くセミナーを終了して下さい。できればその後会社に戻りたいので。」などの意見が多くありました。その時の会場は住友ビル内で、新宿中央公園の近くでしたので、講師の方は散歩をしたかったのでしょう。でも参加者の反対により、ランチタイムは、一時間になりました。私は、二時間の方が嬉しかったのですが、とても反対意見を言う勇気がありませんでした。私も、かつては、住友ビルでお仕事をしていましたが、一度もランチ後に散歩をすることは、考えたことがありませんでした。もちろんそのような時間はありませんでしたが。
今では、すっかりコース中の一時間半のランチタイムが、楽しみになっています。

もう一つ、新たな発見をしました。
それは、フラワーシャワーの素晴らしさです。オーガナイザーの方が、私がコース中少しでもくつろぐことができるようにと、わざわざ私にフラワーシャワーを1本下さったのです。

実は、それ以前に私はフラワーシャワーを使ったことがありましたが、その時の私の感想は、「これは、あまり良くない」というものでした。私の髪や肌は、とても乾燥しているので、それまでは、指触りの良いヘアーシャンプーやボディーシャンプーを使用していました。そして私の髪や肌、指がそれに慣れていました。それに比べてフラワーシャワーは、泡立ちもクリーミーではなくさっぱりとしすぎて物足りない感じがあったのです。ですので、一度使ったきりでその後は、使用していませんでした。

それでも、折角頂いたので使うことにしました。
するとコース中の疲れが、すっきりと取れたような気がしました。その時は気のせいかと思っていましたが、次の日の朝、なんと頭も体も軽くなっていたのです。この違いは、驚くほどのものでした。私は、改めてフラワーシャワーを見直しました。体に付いた汚れだけではなく、エネルギーフィールドを綺麗にしてくれるという感覚をはっきりと感じることができました。まさに軽やかになる感覚です。

それ以来20年間、手放すことができません。長期の旅には必ず持って行きます。メイクも落とせ、体も髪も全てフラワーシャワー1本で、その上、エネルギーフィールドまでが綺麗になる。今では、オーラソーマ製品の中のお気に入りの一つになっています。その時のオーガナイザーの方に、またまた感謝でいっぱいです。

私の最初のレベル1の体験は、自分自身やオーラソーマそして日本人の習慣に対してなど、気づきと感動の連続でした。そして参加者の皆さんからも色々学ぶことがありました。このときから、その後の私のオーラソーマティーチャーとしての活動が動き出し、ティーチングの機会が増えていきました。

To be continued…

日時 : 18:17 パーマリンク コメント (0)