Over the Rainbow 〜7色の架け橋〜

立和田 環(Tamaki Tachiwada)

株式会社ヒューマンクリエイティブアカデミー代表
外資系企業においてマーケティングコンサルタントを経験後、イメージコンサルタントとして活動。『人と色』との関わりを数年にわたって探求し、『オーラソーマ』と出会う。
その後、イギリスオーラソーマアカデミー公認講師として10年以上に渉り全国のオーラソーマ・プラクティショナー(開業セラピスト)の育成に携わり、現在は、マイク・ブース学長の代理として、日本におけるオーラソーマ・ティーチャートレーニングLevel 1コースを教える講師でもある。
また、アメリカにて『神経言語プログラミング(NLP)』トレーナーの資格取得。

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My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅨ.

2019 年 7 月 28 日


My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅨ.
§ 初めてのLevel 1コース §

楽しみにしていた初めてのレベル1コースを迎えました。
コースには、14名の方が参加されました。
コースがスタートし、初めてお会いする皆さんに、私自身の短い自己紹介をしました。自己紹介と言っても、初めての方に、今までの私の経歴などの話しをすることはあまり好きではありませんので、その時、自然に私の中から出てきた言葉を話しました。

今もそうですが、毎回コースのスタートに当たって何かを話し出すのですが、いつも話す内容を考えて準備することはなく、寧ろその時私自身が話し出す内容に、私自身が興味を持っています。毎回異なっていますので、いつも「Here and Now」のライブ感覚です。
ただ、やはり最初のレベル1で話したことは、一言一句今もはっきりと覚えています。そして、今も尚、私の大切な指針になっています。

その時私が話した言葉は、「誰しも、毎日の生活の中では、いろいろなことが起こります。いつも楽しいことばかりではないかもしれません。それでもどんな時でも、しっかりと地に足をつけて、そして軽やかでありたいと思っています。だから私は、オーラソーマを選び、そしてこれからも続けていくと思います。」
この言葉は、自分自身のこととして誰かに話していると言うよりも、自分自身に話していたのだと思います。
この言葉を自分自身が聞いていて、最初に気づいたことは、2つのキーワード、「地に足をつける」と「軽やかでありたい。」です。
その時、改めて「そうなんだ。私にとって大切なことなんだ。」と確認できました。

まず「足が地につく:行動・気持ちなどがしっかりとして、落ち着いている」は、祖母の言葉として子供の頃から良く耳に馴染んでいた言葉でした。オーラソーマ的に言うと、「グラウンディング」「センタリング」「超然」の感覚でしょうか。
そして、もう一つの「軽やかでありたい」は、最初はなぜこの言葉が出てきたのか分かりませんでした。ただ何だかとてもしっくりきた感覚がありました。きっと当時は、軽やかとは言いきれない状態だったのでしょう。だから、「そうありたい」という言葉になったのかもしれません。
そして、後にこれらは、「オーラソーマシステム」そのものだということが分かり、私がオーラソーマに惹かれた理由が更に明確になったことを覚えています。

次に、コース中のこととして記憶に鮮明なことは、オーラソーマを説明するときに欠かせない「色」「鉱物」「植物」についてです。
何しろ当時の日本では、まず鉱物(クリスタル・ミネラル)について参加者がピンとこないことはもちろんのこと、それ以前に、植物、特にそもそも「ハーブ」という言葉も聞いたことがない方々がほとんどでした。その頃日本では、丁度イタメシ(Italian Food)がブームになりかけていた頃で、イタリアンのメニューには、バジルやローズマリーが使われ始めたころでした。できるだけ参加者の方が、イメージしやすくなるよう、段階を経て日本のハーブの一種として古くから薬草として使われていたことなどいろいろ例え話をしました。もちろんまだ日本では、アロマセラピーという言葉もほとんど誰も聞いたことがない頃です。
その後の何年かは、レベル1ではいつも「ハーブって何?」の説明から始まりました。
このようにして、重要と思われることで、参加者がわかり難いことを、分かりやすく説明をする訓練ができました。そして当時色々苦慮したお陰で、いつの間にか、分かりやすい説明が定評になりました。
もちろん、私が、分からない、知らないことに対する質問を受けるときもありました。重要と思われることは、確認して後ほど応えることもあります。ですが、どんな質問にも応えるというわけではありません。オーラソーマコースの内容に全く関係がない質問には、「ごめんなさい。わかりません。」と応えることも、他の参加者のためにも、話が本題から逸れてしまわないためにも大切なことだと思っています。

他にも言葉について、とてもご紹介しきれないたくさんのことがありました。25年近い時の流れの中で、最近では、オーラソーマコースでの説明が、本当に楽になりました。

To be continued…

日時 : 19:05 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅧ.

2019 年 7 月 16 日


My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅧ.
§ 初めてのLevel 1コースに繋がるまで ③ §

以前ブログにも書きましたが、日頃は、のんびりとした性格で、面倒なことはすぐ先延ばしにしてしまい、期限があるとやっとエンジンが掛かるという子供の頃からの習性があり、それでもラストスパートの集中力で、今まで問題なくクリアをしてきたため、「いつもいざとなれば、どうにかなる。」という、一見余裕のようにも聞こえますが、結局は、自分自身へ言い訳をして、実際は、自分の為の、そして期限がないものに対して、逃げていたのかもしれません。

つまり、私がオーラソーマティーチャーとしてスタートすることができたのは、私にとってこの最も私を制限していたものから出ざるを得なかったことにあるかもしれません。

まず最大のポイントは、「私を招待してくれたオーガナイザーの方が、私に期限を決めてくれたこと。」でした。しかもその期限は、私のためのものではなかったことです。誰が私を必要としている。しかもそれは、私がやる必要のあること。
この2つの条件が揃うと、「私は自分の責任を、自分のベストを尽くして、最大限に果たしたくなる。」そして、私の中のスイッチが一旦「ON」になると、かなりの集中力が出るようです。しかも、そのハードルが高ければ、高いほどチャレンジしてみなくなるようです。

当時、このレベル1コースに挑戦することは、私にとってはまだ十分確立されていない未知のものへの挑戦のように思いました。もちろん何度か再受講をしていましたので、大筋のことは理解していたと思います。ただオーラソーマシステムで使用されている言葉のニュアンスが、日常で一般的に使用されていない言葉であったことから、日本語で自分の理解を説明することは、ある意味ではティーチャーの説明次第という、責任重大な役割のようにも思えました。

そしてそのことだけでなく、私には何よりも絶対に乗り越えなければならない最大の挑戦がありました。それは、2017年(Beyond Colourアップデート)以降には廃止になりましたが、「論文:レベル4ワーク」と言われていた10の設問(15,000字~20,000字日本語)と自由研究(15,000字)に合格する必要がありました。当時はティーチャーレベル1コースに、参加することは容易でしたが、レベル1を開催するためには、ティーチャーとしてのディプロマの取得が必須でした。これこそ、もし期限がなかったら自分の意思で自分のためには、永遠に修了しなかったかもしれません。(笑)
レベル1の日程が決まっていると言うことは、必然的にそれまでに、レベル4ワークに合格する必要がありました。

私は、書店に行き、関係がありそうな本を十数冊購入し、私のデスクの上に並べました。そして1日最低1設問を完成させることを決め、取り組みました。その当時のことは今でも鮮明に記憶に残っています。
まず十数冊の本の全てを読む時間は到底ないと思い、(本来ならば全て読むといいと思いますが)設問に関わっているだろう本を手に取り、目次を探し、その項目の部分を読む。それで十分でない場合は、その前後の章を読む、という進め方をしていましたが、1つの設問に対して数冊の本が、関わっている場合も有り、なかなかその方法でも時間が掛かりました。
ただ、その経験の中で、人間が本気で集中したときには、想像も及ばない能力を発揮することができることを発見しました。それは、目次を探す時間もなくなったと感じた私は、まず、自分の直感で本を取り、そしてその本を開く、そうすると私が開いたページにまさにその設問に関連する内容が書かれている。それが何度も繰り返されると、別の意味で面白くなり、後半は全てこの方法で関連項目を見つけていくことによって、予定通り10日間で完成させることができました。
もう一つの自由研究は、「数秘学による人間の資質と潜在的可能性」にしました。
私は、中学・高校まで数学の先生になろうと思っていたくらい、数字のクリエイティブさが大好きで、私にとって、数学問題を解くことは、まるで推理小説の謎を解くことのように楽しいことでした。
この自由研究を4日間でまとめ、予定通りディプロマを取得し、レベル1までに無事に間に合いました。

その頃、私が何をやっているかを知らなかった主人は、後になって、「私のこと見ていて、あまりにもすごい集中力で何かに取り組んでいたので、声を掛けることができなかった。」と言って笑っていました。

生ぬるい私にとっては、限界を超えるほどハードな短期間でのレベル4ワークと自由研究に挑戦したことによって、「やればできる。」という自信も増し、またオーラソーマシステムを多角的に見ることもできました。特に、公的に一般の方への講演の依頼が来たときなどに、オーラソーマシステムへの導入の為の説明に対して、とても役に立っています。

これも、私に最初にオーラソーマコースを開催するチャンスを下さったオーガナイザーの方のお陰です。20年以上経った今も心から感謝しています。

To be continued…

日時 : 15:30 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅦ.

2019 年 7 月 8 日


My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅦ.
§ 初めてのLevel 1コースに繋がるまで ② §

Dev Auraにてティーチャーコースに参加している時は、ただそこにいてマイクの言葉を全体的なものとして捉えている感覚でした。自分のためのみの参加の場合は、それで良かったのだと思いますが、ティーチングとなると、細かいところまでの確認が必要だと思いました。
その時まさにタイミング良く、海外のティーチャーが来日し、レベル1の開催がありましたので早速そのコースに改めて再受講することにしました。

そこでは、知識などでは学ぶことができない重要なそしてかなり衝撃的な経験と向き合うことになりました。それは、そのタイミングでティーチャーになろうとしていた私にとって、後に最高のギフトを開くことになる経験でした。
そしてまさにその時、私はその何年か後に私の一番目のボトルであることが明らかになるB50:エルモリアPale Blue/Pale Blueのボトルを使っている最中でした。
当時は、エルモリアが私の一番目のボトルをという認識ではまだありませんでしたが、後に一番目のボトルを使うことは、「人生のレッスン・使命と目的」つまり「何のために生まれて、そしてそれをどのように生きていこうとしているのか。」が明らかになっていく可能性がある。ということが、その時の経験から今ではとても腑に落ちています。

レベル1コースの再受講後、まだまだ不確かなことがたくさんありましたので、英語版のティーチャーノートを、辞書を片手に読み込みました。幸いなことに、ティーチャーノートがまだ日本語になっていなかったことで、知識として覚えただけでは、自分の生きた言葉(オーラソーマ的に言うと、内なる星・スターからの言葉)にならないということにも気づきました。

そして、すらすらと英語が十分理解できない状況だったお陰で、英語の感覚と日本語にしたときの微妙な感覚の違い、私たち日本人としての背景など、同じ英単語でも幾つもの日本語の解釈ができること、またその日本語自体についても受け取り方、日本語で有りながら、今までその言葉の日本語としての理解が、人によって様々異なるなど、これは、本当に微妙な理解のすり合わせが必要だと、痛切に感じました。
そのための一つ一つの確認作業は、とても時間が掛かり確かに大変でしたが、その後日本語訳された各コースワークブックができたときに、そこに書かれている言葉の誤訳などが、日本語訳を読むだけで気づけるまで、深く理解できるようになっていました。

またこの流れでのその後のティーチング経験により、コミュニケーションの基本原理の一つとして、『同じ言葉を聞いても聞く人によって7通りの捉え方がある。言い換えれば、そこに7人いれば同じ話でも、それぞれの人がそれぞれの人の理解で聞いている。』という発見にも繋がり、今の私に、どのようなコミュニケーションの場所においても、非常に役に立っています。

そして、何よりも私にとって幸いだったことは、全てのボトルの意味やボトルの名前などが書かれた本(テキストも含む)がまだない時代であったことが、オーラソーマ哲学の最も基本原理である「答えはクライアント自身の中にある」ということを、レベル1から参加者に伝えていけたことだと思います。

もちろん、これは知識や情報が全く必要ないということではなく、ボトルの意味を暗記することよりももっと大切なことがあること。外側の情報に囚われてしまうことによって、自分の内側に対する信頼から離れてしまい易くなるということ。
もしかすると「自分の内側に対する信頼を持つことができない」と思い込んでいる場合、気づかないうちに、それを埋めようとして、外側の知識や情報の方が、自分自身よりも「正しい答え」と思ってしまうということになるのかもしれません。
これは、オーラソーマだけのことではなく、現在のような情報過多、そして情報のスピードが速すぎる現代を生きている私たち全ての人々にとって、大切なことかもしれません。

時間を掛けてゆっくりと徐々に自分の内側にあるものに対しての信頼を高めていくことが、今現在、そしてこれからを少しでも生きやすくしてくことに繋がっていると思います。

私は、今までの経験から、そのための非常に有益なツールの一つが、オーラソーマシステムだと思っています。
「あなた自身を思い出したいと思う人は、私のところにいらっしゃい。」(ヴィッキー・ウォール:オーラソーマシステム創始者)

※追記:
上部写真は、一番初期のTeacher’s Notes とレベル1ファンデーションコースワークブック(日本語版)です。
最初の(日本語版)ワークブックには、ボトルに関する情報として、ボトルのナンバーとボトルの色、簡単なキーワードのみが書かれていました。B0~B30までのボトルのみに、ボトルの名前らしきものと補足説明が、書かれていました。このことが幸いし、当時はボトルについての情報を暗記するという発想にはならなかったのかもしれません。

To be continued…

日時 : 16:57 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅥ.

2019 年 7 月 2 日


My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅥ.
§ 初めてのLevel 1コースに繋がるまで ①§

Teacher Training Level 1が終了し、今まで通りイメージコンサルタント及びメイクアップアーティストとして、またそれぞれのプロフェッショナルの養成コースなども開催していました。
と同時に、口コミなどのお陰で、オーラソーマコンサルテーションを続けて行なっていました。まだ、自分自身でオーラソーマコースを開催するというプランは、その時は相変わらず具体的なものはありませんでしたが、ただコンサルテーションが何よりも重要で、基本だと思っていました。

そのような状態の中で、海外のティーチャーがオーラソーマコースを教えるために来日した際には、レベル1やレベル2を再受講したりしていました。

そんな折り、Dev Auraでブリッジコースの開催が有り、私は日本からの参加者のサポートとして参加することになりました。そのブリッジコースに参加していたお一人が、私の名前を見た瞬間に、その方曰く、「立和田 環」と言う名前に、まだ私とは会っていないにもかかわらず、何か強い閃きがあったそうで、ブリッジコースを修了したら、自分でオーラソーマコースをオーガナイズし、私をティーチャーとして招きたいと、思いついたそうです。
そして思いがけずDev Auraで私に出会い、「これは間違いない」と、思われたそうで、出会った瞬間に、「参加者を集めるのでコースを教えに来て下さい。」と申し込まれました。
あまりにも突然のことで、また私は、いつものように「そのうち機会があれば。」とお返事しました。
そして、ブリッジコースが終わりお別れの際に、もう一度頼まれた時にも「そのうちタイミングが合えばね。」と言葉を濁してお返事しました。

ところがそれからわずか数日後、その方からお電話があり、「3ヶ月後の○月○日~○日までの6日間、スケジュールを空けて頂くことはできますか?」と言われ、確かに3ヶ月先の日程でしたので、スケジュール的にはその週にはまだ仕事の予定が入っていませんでしたが、その前に、本当に連絡が来たことに驚きました。そして私の心の準備が整っていませんでしたので、お断りをしようかと相変わらず言葉を濁していたときに、「実は、すでに会場を予約し、新聞に生徒募集の記事を載せる契約をしてきました。」と言われました。そしてその記事に、講師として私の名前を掲載したとのことでした。
ここまで段取りを整えて下さったことに対して、本当に有り難いと心から感謝しました。そしてさすがに、ここでお断りをするわけにはいかない。と覚悟を決めお引き受けしました。

私は、今までも何かを決めるまでは結構面倒ですぐ先延ばしにしてしまい、なかなかスタートができませんが、ただ一旦やると決めると、その後は何があっても全く迷わずに、我ながらかなりの集中力がでます。
今までも、そのようにしてうまく乗り越えてくることができたので、良くも悪くもいつも心の中で、『やるべきことをやっていれば、必ずなんとかなる』と、ある意味で楽天的なところがあります。

そこから、初めてのレベル1コース開催に向けて自分自身の準備を始めました。

今、こうやって改めて自分自身について振り返っていると、今更ながらに有ることに気づきました。
どうやら、私は自分のための目標に対しては、面倒くささが出て、あまり夢とか目標とか持つことにすらエンジンが掛からない。でも、確かに、誰かに期待をされるといつも全力でそのことを成し遂げる。私が力を尽くすことで、誰かが喜ぶことが、私の喜びなのでしょう。

子供の頃に、母に言われてたことをふと思い出しました。「環は、お父さんに似て、誰かの為に一生懸命になることはとてもいいところなんだけど、お父さんは人が良すぎて利用されてばかりだから環も大人になったら気をつけなさい。」確かに、父は本当に無欲な人です。でもそのことに対する不満や愚痴は、聞いたことはありません。
そういえば、主人もその点では、父と同様、人のために全力を尽くし、自分のためには、本当に無欲な人です。

〈余談ですが、主人とは最初がプロポーズでした。その時、主人のことをあまりよく知らなかったので、どのような考え方を持っている人なのかを知るために、いくつかの質問をしました。その中で、「あなたの将来の夢は何ですか?」と聞くと、驚いた顔をして、「夢?」「そんなこと、今まで考えたことがないかなあ。」このやり取りは、私が21歳、主人は24歳でした。きっと今聞いても同じことを言うと思います。(笑)〉
〈あっ! 今思い出しました。7月1日は、私たちの36回目の結婚記念日でした!!もう過ぎている(^_^;) こうやってほぼ毎年忘れている(*^_^*)〉

To be continued…

日時 : 14:12 パーマリンク コメント (0)