Over the Rainbow 〜7色の架け橋〜

立和田 環(Tamaki Tachiwada)

株式会社ヒューマンクリエイティブアカデミー代表
外資系企業においてマーケティングコンサルタントを経験後、イメージコンサルタントとして活動。『人と色』との関わりを数年にわたって探求し、『オーラソーマ』と出会う。
その後、イギリスオーラソーマアカデミー公認講師として10年以上に渉り全国のオーラソーマ・プラクティショナー(開業セラピスト)の育成に携わり、現在は、マイク・ブース学長の代理として、日本におけるオーラソーマ・ティーチャートレーニングLevel 1コースを教える講師でもある。
また、アメリカにて『神経言語プログラミング(NLP)』トレーナーの資格取得。

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My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅠ.

2019 年 5 月 27 日

Teacher Training Level 1-Dev Aura 

ロンドンのキングスクロス駅から列車で約1時間半のところにグランサムという駅があります。そこがDev Auraに行くための最寄り駅になります。
(現在のキングスクロス駅は新しく改築されましたが、当時の駅は、あの「ハリー・ポッター」シリーズの撮影で使われたことで有名です。)

最寄り駅のグランサム駅は、とても小さな駅でした。改札口とは反対のホームに列車が到着しましたので、スーツケースを持って階段の上り下りをしなければならないと覚悟をした時、私の後ろからイギリス人男性が、「運びましょうか?」と声をかけてくれました。
私は、もちろん「ありがとうございます。お願いします。」を笑顔で即答しました。実は、その後も何回も列車でDev Auraに行きましたが、幸いなことに乗降客があまりいない小さな駅にもかかわらず、いつも誰かイギリス人男性が私のスーツケースを持ってくれましたので、今まで一度も重いスーツケースを持って階段の上り下りをしなくてすみました。
さすが紳士の国だと本当に感動しました。

そういえば、のちに聞いたことがあります。このような状況の場合、日本人は自分の重い荷物を持ってもらうことに遠慮をして「大丈夫です。」と断ってしまう人が多いそうですが、声をかけた方は、他人の荷物を運ぶことを怪しんで断られたと感じてしまう人もいるそうです。もちろん、相手によるかもしれませんので、特にロンドン(都会)などでは気をつけた方がいいかもしれません。

グランサム駅では、Dev Auraからミニバスがお迎えにきました。最寄り駅と言ってもそこからDev Auraまでは車で約40~50分ほど、のんびりとイギリスの美しい田園風景の中を走ります。
グランサム駅でミニバスに十人ほどのドイツ人の方と同乗しました。今回のコースには、ドイツ語のみ通訳が付くと言うことで、ドイツ人の方の中には、少し英語が分かる人やほとんど英語を話すことができない方もいました。Dev Auraまでは長い道のりでしたのでミニバスの中で私の名前と、日本から来たことを、片言のドイツ語で、自己紹介をしました。その後はお決まりの、挨拶やお礼などを日本語でどのように言うかなどを、皆さんから興味深く尋ねられましたのでシェアしました。本当に片言のドイツ語でしたが、何だかとても喜んでくれました。ほとんどの方が私よりずいぶん年齢が上の方のように感じました。

Dev Auraに到着し、私の部屋は2階(イギリスでは1F)階段を上ってすぐ右側の外階段が付いている3人部屋でした。
Dev Auraは現在とは大きく異なり、とてもかわいいコテージのようでした。現在のようにデジカメや、ましてや携帯電話で簡単に写真を撮るような時代ではありませんでしたが、私の記憶には鮮明に残っています。

キッチンの隣には、今と同じリビングが有りましたが、現在のような広いダイニングルームはありませんでした。奥には、広さが現在の半分ぐらいのセミナールームが有り、セミナールームに続く細い廊下の壁に添って長いカウンターテーブルが置かれていました。私たちは皆、横に並んで壁や窓に向かって食事をするようになっていました。
確かその壁には、Dev Auraができる前、森林だった現在の土地をヴィッキーが購入し、開墾中のシャベルや鍬をもったマイク達の写真が貼ってあったように思います。

私は、スイスとオーストリアからの参加者と同室でした。お部屋には、ヴィッキーが使っていたというダブルベッドが置かれていて、他には2段ベッドがありました。2人とも2段ベッドの上に上るのがつらいとのことで、一番若い私が2段ベッドの上を快諾しました。スイス人(マリーア)は英語がとても堪能でした。オーストリア人(キャリーナ)の方は、ほとんど英語が話せないとのことでしたので、マリーアが通訳をしてくれました。二人ともお仕事はすでにリタイアし、マリーアはスイスの教会で子供達のお世話をしていました。キャリーナは、オーストリアのチロル地方でご主人や仲間とアルプスの民族衣装を着て歌やダンスを披露しているとのことでした。

すでにコースが始まる前に、私はあまりにも日常と異なる環境に戸惑いながらも何だか未知なる冒険の旅をしているような気分でした。

To be continued…

日時 : 20:16 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩ.

2019 年 5 月 21 日

暫くぶりにブログを更新します。
2019年マイクの日本ツアーにご参加頂き、Practical Skills for practitioner, Essentials InstructorそしてL2&L3のそれぞれのコースでご一緒頂いた皆さま、ありがとうございました。
たくさんの皆さまとお話をさせて頂き、とても有意義で楽しい時間を過ごすことができました。今回ご参加頂いた皆さまはもとより、今後もできる限りのサポートをさせて頂きます。

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩ.
§ Teacher Training Level 1 §

1997年、初めてTeacher Training Level 1に参加しました。今にして思えば、この時から本当の意味での私のオーラソーマ人生がスタートしたのかもしれません。

Dev Aura(イギリス)でのTeacher Training Level 1開催のお知らせは、私のところにやって来たという様な感覚でした。というのは、その頃の私は、オーラソーマにだんだん惹かれコンサルテーションを行うことにも喜びを感じていましたが、まだまだ独立した仕事としての認識がそれほど強くはありませんでした。

その当時は、私自身のメイクアップスクール以外でも、イメージコンサルタントとして企業から依頼された講演やメイクアップアーティストとして様々なショーでの活動、また更に技術を高めるために研究をしていました。つまり私の仕事としての意識は、オーラソーマよりも今までの仕事の方が、高かったと思います。
私の仕事を通して、私と出会ったことで、自信を取り戻し、輝いていく皆さんのお手伝いをしている喜びにいつも感動していました。驚くことにどんなにうらやましいほどに綺麗なモデルの方でさえ様々なコンプレックスを持っていて、いつもメイクをしながらカウンセリングのようになっていました。私としては、ある程度充実していましたので、オーラソーマはそういった仕事の一環という認識でした。

そんな私のところにTeacher Training Level 1の話がやって来たのです。その時の私の答えは、「別に参加してもいいですよ。」と、まるで他人事のような反応をしていました。
断る理由も、その流れに抵抗する理由もなく、イギリス旅行に行くぐらいの軽い感覚でしたので、それによってオーラソーマティーチャーになるという自覚はほとんどありませんでした。

オーラソーマ自体も、プラクティショナー(という名前すらなく)やティーチャーとしての登録システムもまだありませんでしたので、尚更自覚がなかったのかもしれません。

当時は、現在のブリッジコースをティーチャー1といい、現在のTL1⇒ティーチャー2、TL2⇒ティーチャー3、そして最終のTL3⇒ティーチャー4と言われていましたので、ティーチャー1の次はティーチャー2なんだと思っていただけでした。

そんな軽い気持ちで参加したティーチャーコースが、その後の私の人生を大きく変えることになるとは、私は全く思いも寄りませんでした。

このお話は、また次回以降にさせて頂きます。

To be continued…

日時 : 15:37 パーマリンク コメント (0)