Over the Rainbow 〜7色の架け橋〜

立和田 環(Tamaki Tachiwada)

株式会社ヒューマンクリエイティブアカデミー代表
外資系企業においてマーケティングコンサルタントを経験後、イメージコンサルタントとして活動。『人と色』との関わりを数年にわたって探求し、『オーラソーマ』と出会う。
その後、イギリスオーラソーマアカデミー公認講師として10年以上に渉り全国のオーラソーマ・プラクティショナー(開業セラピスト)の育成に携わり、現在は、マイク・ブース学長の代理として、日本におけるオーラソーマ・ティーチャートレーニングLevel 1コースを教える講師でもある。
また、アメリカにて『神経言語プログラミング(NLP)』トレーナーの資格取得。

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A Happy New Year! 

2023 年 1 月 1 日

Happy New Year!

2023年元旦
新年あけましておめでとうございます。

何処までも澄み渡った雲一つない青空と富士山に、この新しい年が祝福されているようです。
(河口湖畔から撮影)

世界が、平和でありますように。
そして、皆さまにとっても穏やかな1年になりますようにお祈り申し上げます。

p.s. We will be celebrating our 40th wedding anniversary this year.
今年は、結婚40周年を迎えます。
今まで二人とも健やかに過ごすことができたことに感謝の気持ちで一杯です。
これからも、毎日穏やかで、笑いの絶えない日々を過ごしたいと思っています。

Peace Love & Light ✨

日時 : 16:50 パーマリンク コメント (0)

A Happy New Year 2022!

2022 年 1 月 1 日


《A Happy New Year 2022!》
2022年元旦
新年あけましておめでとうございます。

新しい年がスタートしました。
今年もまた河口湖畔から初日の出に染まりゆく富士山と、澄み切った空気に触れながら神聖で清らかな心持ちになりました。

この新しい年が、心穏やかで希望に満ちた世界になりますように🌏🌍🌎🌐
そして皆さまにとってもより良き年となりますことを、
心よりお祈り申し上げます。

Peace Love & Light✨

Tamaki🍀

日時 : 16:05 パーマリンク コメント (0)

My Birthday in 2020

2020 年 3 月 3 日

< My Birthday in 2020 >

3月2日(月)に60回目の誕生日を迎えました。
日本では、還暦といいます。当の本人はあまり自覚と実感がありませんが…(笑)
私の勝手な英語の解釈では”ReBirth”(再誕生)だと思っています。

私の誕生日には、お花やSNSなどでたくさんのメッセージをありがとうございました。
時間を見つけてお一人お一人のお顔を思い浮かべながらお返事をしたいと思います。

実は以前は、60歳は、そろそろリタイアすることも考える年かしらと思っていました。ですが、年号が「令和」になり、新しい天皇陛下は、私よりわずか1週間だけ先にお生まれになった同じ60歳で、これから益々ご自分の責任を全うしようとされている決意に満ちたお姿を見て、もう少し私にできることをしてみようと思い直しました。

幸いなことに私はいたって健康で、たまには風邪をひくことはありますが、いつも機嫌良く過ごせています。主人からは、「脳天気で羨ましい。」と言われています。
ただ本来面倒くさがり屋で怠けることが大好きなためにすぐリタイアしたがります。でもきっと本当にリタイアしたら毎日がつまらないかもしれません。何しろ楽しくて好きなことを仕事にしてしまったので…。

これからも「しなやかに、爽やかに、そして軽やかに」年を重ねていきたいと思います。

*左上の写真は、毎年恒例の2020年元旦初日の出直前の富士山です。(河口湖畔)

Tamaki

日時 : 17:44 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅩⅡ.

2019 年 8 月 19 日


My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅩⅡ.
§ レベル1コースに参加―立和田正 §

今回は、久々に主人(立和田正)について書きます。
過去にも主人が私の初めてのコンサルテーションの練習相手として最悪な結果だったこと、そしてその後の主人のオーラソーマに対する変化などを書きましたが、いよいよ主人が私のレベル1に参加することになりました。
ただ、積極的な参加というよりも、私が沖縄にレベル1をティーチングに行く際に、今まで私も主人も沖縄には行ったことがなかったことから、コース終了後何日間か沖縄を観光しようということになったのがきっかけでした。
その時のコースは、オーガナイザーの方がいましたので、正式な受講料を支払っての一人の生徒としての参加でした。主人は、コース代金をオーガナイザーに支払うことは当然としても、なぜ私への講師料も支払ったんだろう?と後で気づいてブツブツ言っていましたが、「そこは、当然でしょ。」と私。
参加者は、確か12~14名ほどだったと思います。
もう一つ、ブツブツ言っていたことは、分らないことを私に聞いてもコース中の質問には答えても、コース以外では、「自分で答えを見つけて。」と他の参加者と不公平になるので、敢えて何も説明をしなかったことでした。主人は「冷たい!」と言っていました。
私は、知らなかったのですが、コース中他の参加者の方からは、「立和田さんは、分らないことは、いつでも奥さんに聞けていいですね。」と言われていたそうです。
主人は毎日ホテルに帰った後、ベッドに横になりながらテキストを広げて色彩の言語の復習をしているようでした。でもベッドに横になりながらなので、すぐに寝てしまっていました。(笑)
それでも感心なことに、毎日必ずテキストを広げていましたので、6日間コースの5日目に、「どこまで進んだの?」と聞いてみました。
すると主人は、「レッドの目覚め」と答えました。「えっ?一番最初のところ?」
当時のテキストは、最初の色がレッドから始まっていました。そこには、「目覚め」という言葉がありますが、「目覚めとはどういうことなんだろう。」と考えているとなぜだか眠くなり、いつもそこで寝ていたので、結局全然進んでいなかったようです。二人で大笑いをしました。

そういえば、主人は、まるでON/OFFのスイッチがあるかのように、体を動かしているか、寝ているかのどちらかで、体が止まっていると5~10分で寝てしまいます。いつも何か行動しながら考えたり、テレビを見ている時も何かをしながら見ているので(しかも1.3倍速で)、ただ普通にテレビだけを見ているという姿や、もちろんボ~ッとリラックスをしているという姿は、結婚して36年、未だに見たことがありません。ボ~ッとしているくらいなら、寝た方が体にはいいと言っています。
そんな主人が、ベッドに横になりテキストの字を見ながらでは、それは当然寝るための準備をしているようなものでした。それでも6日間のコース中、ずっと座っていても居眠りすることなく、コースが終えられたことが驚きでした。

コースが終了し、2日間ほどレンタカーを借りて沖縄観光をしました。11月の沖縄は、丁度いい涼しさで、とてものんびりといろいろなところを回ることができ、また途中、木陰に車を止めお昼寝をしたりして楽しい旅になりました。

その後暫くして、主人はマイクとクローディアの来日に合わせて、マイクのレベル3に参加しました。その際に車での移動の運転手をすることになり、車好きのマイクと車の話しや特に運転の仕方で意気投合したようでした。今でも、主人の運転には信頼を置いているようで、車で移動するときは、マイクは安心して助手席でよく寝ることができると言っています。

レベル3コースが終了した時に、マイクが主人に、コースに参加してどうだったかを聞いた時に、主人は、「頭で考えるのではなく、感じるということが分った。」と、言ったことに対して、マイクは一言「Very Good!」と言っていました。その時のマイクの表情と言葉で、主人は「これでいいんだ。」と思ったそうです。

その頃から、徐々に主人は人生の転機を迎えることになり、当時は、思ってもいませんでしたが、いつの間にか、主人はオーラソーマを仕事として取り組むようになりました。

To be continued…

〔アーカイブ〕
2018年11月からMy history with Aura-Somaのシリーズは、今回で32回目になりました。途中からお読み頂いている方から私がオーラソーマをスタートした頃のストーリーを読みたいとご要望頂きました。ありがとうございます。下記URLで1回目~4回目をお読み頂けます。
その後は、【過去の記事】のところを月順に進んで頂けましたら1回目~今回の32回目まで全てお読み頂けます。
https://www.hmc-a.com/tamaki/?m=201811

日時 : 15:59 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅩⅠ.

2019 年 8 月 12 日


My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅩⅠ.
§ Teacher Training Level 2コース §

レベル1コースのティーチングを何回か経験をし、Teacher Training Level 2に参加しました。コースが開催された場所は、オーストリアのチロル州都インスブルクでした。雪が積もるインスブルクの街郊外にある小さなロッジのようなホテルでした。インスブルクは、かつて冬季オリンピックが開催された場所として記憶がありました。T1に引き続き、ドイツ語の通訳がついたドイツ語圏からの参加者が多いコースでした。ほとんどの参加者がT1からの参加者でしたので、今度は顔見知りの人も多く、ドイツ語は分りませんが、少し慣れた雰囲気がありました。

当時のオーストリアのお金は、まだユーロが導入される前で、オーストラリアシリングが使われていました。そしてお札には、丁度レベル2の古代の知恵で学ぶ2ひきの蛇のヘルメスの杖が描かれていました。さすが医術が発展した国らしく、街の中にも、同じシンボルの看板を目にし、それが薬局や病院のシンボルになっていました。当時の私たち日本人には,あまり馴染みがないものでしたので、レベル2のコースで参加者にシリング札をお見せしようと思いつきました。

ロッジの窓から小高い丘が見えました。うっすら雪が積もりとても綺麗でした。その頂にはベンチが一つポツンと置かれていました。なぜかとても気になり次の朝早くまだ夜が明ける少し前に、その丘に登ってみました。小高い丘からはインスブルクの街が眼下に見えました。そして暫く一人ベンチに座り夜が明けるのを待ちました。夜が白み始めた頃、徐々にそしてゆっくりとペールブルーの空に、地上辺りがペールピンクになり始めました。そしてまさにB58:オリオンアンドアンジェリカ Pale Blue / Pale Pinkの色に染まりました。当時の私は、このボトルをよく選んでいたので、この神秘的な光景に暫く見とれていました。このときより前もその後も、これほど美しい朝の景色を経験していません。今でもしっかりと目に焼きついています。

インスブルクの街は、素敵なところがたくさんありますが、コース中はどこかに観光に出かけるほどの余裕もなく今にしてみればほんの少し残念な気もします。T2が終了するとL2のコースのティーチング予約が何カ所からか入っていましたので、T2のコース中からその準備に取りかかっていました。

レベル2の内容の中に、ヌメロロジー〔数秘学〕とそして当時はアストロロジー〔占星学〕がありました。実を言うと、T2では、言葉の関係もあり、その時はあまりよく分りませんでしたが、両方とも私がオーラソーマに出会う前にそれぞれについて深く学ぶ機会があり、十分慣れ親しんでいました。ヌメロロジーは、イギリス人の先生に学び、レベル4の論文のテーマとして更に独自に研究し、アストロロジーは、哲学的に研究をしている先生と出会い、その先生には生命の樹や、ジェムストーン(原石)との関連においても学びました。
オーラソーマと同じで、どちらも自分が探したわけではなく、また直接誘われたわけでもなく、いつも誰かが私と何かを結びつけてくれる人との出会いから始まっています。私にそれぞれを紹介して下さった人たちは、決してご自身がそれほど興味を持っているわけでもなく、またお会いしたことはあっても、私とそれほど親しいわけでもない人たちでした。そしてそれぞれの人が同じようなことを言いました。「自分には向いていないけど、なぜか環さんのことを思い出したの。」と。皆さんと元々がそれほど親しくなかったので、その時だけの不思議な繋がりの皆さんでした。でも私には、それが良かったのだと思います。
私は、どうやら強く勧められたり、誘われるとなぜか抵抗したくなるところがありますので、私が自然にその流れに抵抗せずここまで来ることができたのは、私に繋いで下さった方々のお陰だと思います。人と人との繋がりは本当に不思議なものだとつくづく思い出され、私の人生に関わって下さった皆さんに対して感謝の気持ちでいっぱいです。
 
T2時のいくつかの記憶が思い出されますが、オーラソーマに全く関係なく、ブログを書いていて今、突然思い出したことは、当時はまだ海外との行き来の際には、リコンファーム(フライトの予約確認)を48時間前までに航空会社にする必要がありました。もしそれを忘れると、自動的にチケットがキャンセルされてしまうことになるので、ロッジ(ホテル)から帰りのチケットのリコンファームのために航空会社に電話を掛けましたが、なかなか繋がらず結構大変でした。
時代の流れを感じます。今は本当に何もかもが、便利で楽になりました。

To be continued…

日時 : 23:36 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅩ.

2019 年 8 月 5 日


My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅩ.
§ 初めてのLevel 1コース➁ §

コース以外で気づいたことの一つに、オーラソーマコースでは基本ランチタイムは、イギリスでのコースと同様に一時間半ゆっくりと取ります。今では参加者もゆっくりランチタイムを楽しまれていますが、その当時の参加者の方は、一時間半という時間を持て余した様でした。

日本では、お仕事をしている方は、一時間のランチタイムというのが通常でした。今でもそうでしょうか。
私が会社で働き始めた頃は、50%外資系ではありましたが、職場には日本人が多く、日本人の上司に「仕事ができる人は、歩くのと食べるのが速い人だ。」と教わりました。早歩きは、体と脳の健康にいいそうなので、今では時折意識的に速く歩くようにしていますが、食べるのは、やはりゆっくりの方がいいですね。

(余談ですが、T1の時に、仲良くなったスペインやイタリアの人たちは、シエスタが有り、ランチタイムの後にお昼寝をする人が多いらしく、ランチタイムが一時間半では短すぎると言っていたことを覚えています。その後のDev Auraでのコースの時、日本人は比較的ランチの終了時間時は、セミナールームに戻って来ていますが、他の国の皆さんは、ベルを鳴らして呼びに行くことが多々あります。日本人は、時間に対して正確ですね。)

私がオーラソーマを始めた頃は、既にフリーランスになっていましたので、オーラソーマコースのランチタイムが一時間半という時間は、食事の後ゆっくりとコーヒーを飲むことができる喜ばしいものになっていました。
レベル1コースの初日、オーガナイザーの方とおしゃべりをしてゆっくりとランチを取り、それでも会場の鍵を持っているために、20分前に会場に戻りました。
しかし既にその時には、ほぼ全員の参加者が、ドアの前で待っていました。どうやらいつもの習慣で、50分位(一時間以内)で戻ってきていたそうです。
そして、「一時間半も何をしていればいいですか?」「早く始めましょう!」と言われたことが懐かしく思い出されます。

丁度同じ頃、私は一般のビジネスセミナーに参加しました。そこには、第一線で活躍されているビジネスマンの方や会社経営をされている方が参加されていました。ほとんどが男性だったと思います。その時の講師はアメリカ人で、その方が「ランチタイムは二時間です。食事後、ゆっくりお散歩などをして下さい。」と言った途端、参加者のほぼ全員が、「何のための散歩ですか?そんな時間の無駄なことをするくらいなら、その一時間で、早くセミナーを終了して下さい。できればその後会社に戻りたいので。」などの意見が多くありました。その時の会場は住友ビル内で、新宿中央公園の近くでしたので、講師の方は散歩をしたかったのでしょう。でも参加者の反対により、ランチタイムは、一時間になりました。私は、二時間の方が嬉しかったのですが、とても反対意見を言う勇気がありませんでした。私も、かつては、住友ビルでお仕事をしていましたが、一度もランチ後に散歩をすることは、考えたことがありませんでした。もちろんそのような時間はありませんでしたが。
今では、すっかりコース中の一時間半のランチタイムが、楽しみになっています。

もう一つ、新たな発見をしました。
それは、フラワーシャワーの素晴らしさです。オーガナイザーの方が、私がコース中少しでもくつろぐことができるようにと、わざわざ私にフラワーシャワーを1本下さったのです。

実は、それ以前に私はフラワーシャワーを使ったことがありましたが、その時の私の感想は、「これは、あまり良くない」というものでした。私の髪や肌は、とても乾燥しているので、それまでは、指触りの良いヘアーシャンプーやボディーシャンプーを使用していました。そして私の髪や肌、指がそれに慣れていました。それに比べてフラワーシャワーは、泡立ちもクリーミーではなくさっぱりとしすぎて物足りない感じがあったのです。ですので、一度使ったきりでその後は、使用していませんでした。

それでも、折角頂いたので使うことにしました。
するとコース中の疲れが、すっきりと取れたような気がしました。その時は気のせいかと思っていましたが、次の日の朝、なんと頭も体も軽くなっていたのです。この違いは、驚くほどのものでした。私は、改めてフラワーシャワーを見直しました。体に付いた汚れだけではなく、エネルギーフィールドを綺麗にしてくれるという感覚をはっきりと感じることができました。まさに軽やかになる感覚です。

それ以来20年間、手放すことができません。長期の旅には必ず持って行きます。メイクも落とせ、体も髪も全てフラワーシャワー1本で、その上、エネルギーフィールドまでが綺麗になる。今では、オーラソーマ製品の中のお気に入りの一つになっています。その時のオーガナイザーの方に、またまた感謝でいっぱいです。

私の最初のレベル1の体験は、自分自身やオーラソーマそして日本人の習慣に対してなど、気づきと感動の連続でした。そして参加者の皆さんからも色々学ぶことがありました。このときから、その後の私のオーラソーマティーチャーとしての活動が動き出し、ティーチングの機会が増えていきました。

To be continued…

日時 : 18:17 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅦ.

2019 年 7 月 8 日


My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅦ.
§ 初めてのLevel 1コースに繋がるまで ② §

Dev Auraにてティーチャーコースに参加している時は、ただそこにいてマイクの言葉を全体的なものとして捉えている感覚でした。自分のためのみの参加の場合は、それで良かったのだと思いますが、ティーチングとなると、細かいところまでの確認が必要だと思いました。
その時まさにタイミング良く、海外のティーチャーが来日し、レベル1の開催がありましたので早速そのコースに改めて再受講することにしました。

そこでは、知識などでは学ぶことができない重要なそしてかなり衝撃的な経験と向き合うことになりました。それは、そのタイミングでティーチャーになろうとしていた私にとって、後に最高のギフトを開くことになる経験でした。
そしてまさにその時、私はその何年か後に私の一番目のボトルであることが明らかになるB50:エルモリアPale Blue/Pale Blueのボトルを使っている最中でした。
当時は、エルモリアが私の一番目のボトルをという認識ではまだありませんでしたが、後に一番目のボトルを使うことは、「人生のレッスン・使命と目的」つまり「何のために生まれて、そしてそれをどのように生きていこうとしているのか。」が明らかになっていく可能性がある。ということが、その時の経験から今ではとても腑に落ちています。

レベル1コースの再受講後、まだまだ不確かなことがたくさんありましたので、英語版のティーチャーノートを、辞書を片手に読み込みました。幸いなことに、ティーチャーノートがまだ日本語になっていなかったことで、知識として覚えただけでは、自分の生きた言葉(オーラソーマ的に言うと、内なる星・スターからの言葉)にならないということにも気づきました。

そして、すらすらと英語が十分理解できない状況だったお陰で、英語の感覚と日本語にしたときの微妙な感覚の違い、私たち日本人としての背景など、同じ英単語でも幾つもの日本語の解釈ができること、またその日本語自体についても受け取り方、日本語で有りながら、今までその言葉の日本語としての理解が、人によって様々異なるなど、これは、本当に微妙な理解のすり合わせが必要だと、痛切に感じました。
そのための一つ一つの確認作業は、とても時間が掛かり確かに大変でしたが、その後日本語訳された各コースワークブックができたときに、そこに書かれている言葉の誤訳などが、日本語訳を読むだけで気づけるまで、深く理解できるようになっていました。

またこの流れでのその後のティーチング経験により、コミュニケーションの基本原理の一つとして、『同じ言葉を聞いても聞く人によって7通りの捉え方がある。言い換えれば、そこに7人いれば同じ話でも、それぞれの人がそれぞれの人の理解で聞いている。』という発見にも繋がり、今の私に、どのようなコミュニケーションの場所においても、非常に役に立っています。

そして、何よりも私にとって幸いだったことは、全てのボトルの意味やボトルの名前などが書かれた本(テキストも含む)がまだない時代であったことが、オーラソーマ哲学の最も基本原理である「答えはクライアント自身の中にある」ということを、レベル1から参加者に伝えていけたことだと思います。

もちろん、これは知識や情報が全く必要ないということではなく、ボトルの意味を暗記することよりももっと大切なことがあること。外側の情報に囚われてしまうことによって、自分の内側に対する信頼から離れてしまい易くなるということ。
もしかすると「自分の内側に対する信頼を持つことができない」と思い込んでいる場合、気づかないうちに、それを埋めようとして、外側の知識や情報の方が、自分自身よりも「正しい答え」と思ってしまうということになるのかもしれません。
これは、オーラソーマだけのことではなく、現在のような情報過多、そして情報のスピードが速すぎる現代を生きている私たち全ての人々にとって、大切なことかもしれません。

時間を掛けてゆっくりと徐々に自分の内側にあるものに対しての信頼を高めていくことが、今現在、そしてこれからを少しでも生きやすくしてくことに繋がっていると思います。

私は、今までの経験から、そのための非常に有益なツールの一つが、オーラソーマシステムだと思っています。
「あなた自身を思い出したいと思う人は、私のところにいらっしゃい。」(ヴィッキー・ウォール:オーラソーマシステム創始者)

※追記:
上部写真は、一番初期のTeacher’s Notes とレベル1ファンデーションコースワークブック(日本語版)です。
最初の(日本語版)ワークブックには、ボトルに関する情報として、ボトルのナンバーとボトルの色、簡単なキーワードのみが書かれていました。B0~B30までのボトルのみに、ボトルの名前らしきものと補足説明が、書かれていました。このことが幸いし、当時はボトルについての情報を暗記するという発想にはならなかったのかもしれません。

To be continued…

日時 : 16:57 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅤ.

2019 年 6 月 24 日


My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅤ.
§ Teacher Training Level 1 ⑤-Dev Aura§
~なぜ私は今ここにいるのか?~

Teacher Training Level 1 の間に、私はもう一つの大切な確信を得ました。

以前のブログにも書きましたが、一緒にコースに参加していた皆さんの内の何人かの方が、今までの仕事をリタイア(定年退職)して参加されていて、これからの人生は、自分の生きがいになるようなことで、世の中に貢献したい。ということを言っていました。
とても素敵に年齢を重ねられていることが、お顔の表情や姿形から溢れていらっしゃいました。

この仕事は、もちろん年齢制限はなく、それどころか年を取れば取るほど、様々な経験から人生の深みが増し、更に洗練されていく可能性がある仕事だと思いました。

時々コースなどで、冗談で笑い話のように言うのですが、
「座って行なうこの仕事は、たとえ年を重ね体が不自由なったとしても、もしかしたら生きている限りは、自分がそうしたければ、現役で続けられるかもしれない。」
ちょっとオーバーに聞こえるかもしれませんが、実は本当にそう思ったのです。
その時、私の人生の目標が見えてきました。「そうだ! いつも笑顔の可愛いおばあちゃんになろう!」
その後も将来の目標や夢を聞かれる度に、いつもそう言ってきました。

その時、ある光景を思い出しました。
ある年の敬老の日、100歳のおじいさんに、TVでのインタビューがありました。その方は毎朝早くに畑に出て、そこで採れた野菜を、近所の人たちに配っていました。そのおじいさんの笑顔と近所の方々との交流を見たインタビューアーが、おじいさんに尋ねました。
「お元気ですね。何歳まで働かれるつもりですか?」
その質問に対して、「体が動くまでずっとはたらくつもりだよ。」「はらたくというのは、はた(傍)が、らく(楽)になるためにすることなんだよ。」とおじいさんは満面の笑顔で言いました。
その時のおじいさんの笑顔とその言葉に、「こんな素敵に年を取りたい。」と、私は本当に感動しました。そしてその時、私ながらに、ふと気がつきました。そういえば、「働く」という漢字も「人」が「動く」と書く。
物質的であれ、肉体的であれ、感情的であれ、心理的であれ、精神的であれ、あらゆる分野で「周りの人(たった一人の目の前の人)が楽になる」そのことに携われたら、きっと本当に充実した生き方になるかもしれない。

そして、そこから20年以上の月日が流れ、私も世の中的に、おばあちゃんと言われる年齢になりました。そして分かってきたことは、オーラソーマで言う一番目のボトルの現す「使命・目的」を生きることは、自分自身である色を思い出していく、明らかにしていくプロセスであり、その色である自分自身を生きていくということ。
そのことが、実は社会に向けて、一緒にいる周りの人に向けて、そして目の前の誰かに向けて、もしかしたら自分が気づかないうちに、自然に何かの役に立っているかもしれない。
でも、そのことには意図的にならないでいたいと思います。

※上部写真は、ここ最近のDev AuraのBack Garden「Memorial Garden for Vicky Wall」にある、ヴィッキーの「Go Hug a Tree」の木の写真です。TL1当時から比べると、ずいぶん大きな木になりました。20年以上の時の流れを感じます。

To be continued…

日時 : 16:18 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅣ.

2019 年 6 月 17 日


My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅣ.
§ Teacher Training Level 1 ④-Dev Aura§
~なぜ私は今ここにいるのか?~

「あなたはなぜ今ここ(Teacher Training Level 1)にいますか?」
このマイクからの問いかけに対して
「私は、なぜ今ここにいるのだろう???」と自分自身に問いかけました。
しかし答えは出ず、その日の夜もまたよく眠れないまま次の日の朝を迎えました。ベッドの中で時計を見ると、丁度5時でした。外はほんのり薄明るくなっていました。ルームメイトを起こさないようそっと部屋を出て、下のダイニングルームへ静かに降りて行きました。
誰もいないダイニングルームは、静寂そのものでした。私は、ソファーに腰を下ろし、何をするわけでもなく、静かにただそこにいました。暫くして私はソファーの横の小さなサイドテーブルの上に、小さなグラスに入ったエンジェルカードに気づき、おもむろに1枚カードを選びました。そのカードには「Responsibility」と書かれていました。さして気にとめることもなく元あったグラスの中に戻しました。
その日も私の順番にはなりませんでした。

次の日の朝、目覚めると時計はまた5時丁度でした。昨日も今日もアラームによって目が覚めたのではなく、なぜか同じ時間に自然に目覚めたのです。
私は昨日と同じようにダイニングルームへ行き、ほんの暫くぼぅっ~とし、することがないのでまたエンジェルカードを選びました。そのカードは、またもや「Responsibility」でした。「?!」この偶然に少し驚きました。でもすぐに「まあ。そういうこともあるだろう。」と気にもとめずにその日を過ごしました。
その日は、明日はいよいよ間違いなく私の番が来るというところで終わりました。それでも私の中には、何の答えも見つからないままでした。

3日目の朝、やはり5時丁度に目が覚めました。また同じようにダイニングルームへ行き、ソファーに腰を下ろし、ふと、そういえば、2日間続けて同じカードを選んだことを思い出し、今度は、もっとしっかりシャッフルしました。何か今日発表するヒントが欲しいと思い、普段の私らしくなく藁をも掴む思いでした。
そしてカードを見て「えっ!」思わず声を出しました。そこに書いてあったのは紛れもなく「Responsibility」でした。

さすがの私も、3日間続けて選んだ「Responsibility:責任、するべきこと、職務、任務・・・???」英語の意味を知っていたとしても、これは一体私にとってどのような意味があるのだろう?
考えていてもその答えは出ず、気分転換にDev Auraを出て、朝の爽やかな、清々しい空気の中で散歩に出かけました。

そして、コースが始まりいよいよ私の番が来ました。
驚くことに私は話し始めたのです。十分とは言えない英語で。
「私は、オーラソーマによって、今まで気づいていなかった自分自身の不自由さから自由になろうとしている。
日本には、私と同じように社会や家族、教育などの環境の中で、長い間に慣れてしまったことで、自分の可能性を、自分自身を、不自由にしていることに気づいていない人たちが、たくさんいる。
その人達のためには、日本の社会や風習などを理解することができる日本人のプラクティショナーが必ず必要になる。
その日本人のプラクティショナーには、日本人のティーチャーが必要になる。
だから私は今ここにいる。」
と話していたのです。

うまく英語で話せたかどうかは、その時の私にとっては重要ではなく、私は、自分が話している言葉、その思いを聞いて、「そういうことなんだ!」と自分自身のことにもかかわらず、やっと気がつきました。
このことが、私にとっての「Responsibility」が現す答えだと思いました。

だからこそ、その時の私の思いは、20年以上経った今までも、一度もぶれたことがありません。

それから何年か後、マイクは「その時の私の言葉を覚えている。」と言っていました。

P.S.(後書き)
10年以上後に、マイクはコースの中で「Responsibility」とは「Response」-「ability」つまり :「反応・応答」する「能力・才能」のことを言う。と何度も話しています。
「なるほど。」と思いつつ、20年以上経った今も、自分自身の答えを私は自分の道の上で、洗練し続けていると思います。

※上部写真は、ここ最近のDev AuraのLiving Roomの写真です。
当時は一人がけではなく長いソファーだったと思います。

To be continued…

日時 : 22:02 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅨ.

2019 年 4 月 22 日


§ オーラソーマコンサルテーションを始めた時 ②§

以前にも書きましたが、私がコンサルテーションを始めた頃は、日本にはティーチャーが一人も存在せず、ワークブック(テキスト)もなく、ボトルについての情報というものがほとんどありませんでした。
寧ろ私にとっては、まさにそのことが幸いしました。

何度かコンサルテーションを行っている内に、同じボトル、同じ色を選ぶ人たちに共通点があることに気づきました。また日本という社会性、教育、環境の中での共通の条件付けのようなものにも気がつきました。それはまた私自身の中にあるものでもありました。

このようにして、コンサルテーションを行うことによって、クライアントの方から多くのことを学ぶことができました。つまり私のティーチャーは、クライアントの皆さんでした。
それは、ボトルについてだけではなく、私自身についても同様です。

そしてコンサルテーションを始めた頃から、私にとっては、「こんなに有り難いお仕事はない」ということに気がつきました。

ほとんどのお仕事の場合、お金を頂くときは、お金を受け取る側がお礼を言います。ですが、このお仕事は、たくさんの「ありがとう。」の言葉受け取り、更に自分自身の成長につながり、そしてお金まで頂けるお仕事。そしてこれらと同時にクライアントの皆さんの笑顔と幸せのエネルギーのお裾分けを頂ける。
だからこそ、私も感謝と共に、全てのコンサルテーションに対して、誠実に向き合い最善を尽そうとうと思いました。
オーラソーマティーチャーとしても、コンサルテーションは最も大切なお仕事の一つであることは言うまでもありません。

これらのことに気づいたときに、子供の頃に祖母に言われた言葉を思い出しました。
祖母は、25歳の時に列車の脱線事故で突然夫(私の祖父)を失い、2歳(母)と生まれたばかりの子供(叔母)を抱え、戦後の混乱の中、自らの会社を起こしました。
私の想像の中ではきっと大変な苦労をしたのだと思いますが、祖母は、「あの時代は皆そうだったから。」とにっこり笑ってさらっと言っていました。そして私が生まれた時に、45歳で会社の経営から引退をし、私を育てながら私に多くのことを教えてくれました。

そして、その教えの中に
「お金は追いかけたら逃げる。どんな時も感謝を忘れずに、世の中の人が喜ぶことをやりなさい。そうすればお金は必ず自然に後からついてくる。」「そしてそのためにも本物を見極めること」という言葉があります。祖母の経営哲学です。

小さな子供達を抱えてまともに食べるものさえない時代からも、会社を運営しているときも、先を見据えて、決して目の前のお金を得ることを考えてはいなかったそうです。祖母は本当の意味で地に足が付いた生き方をしていました。
そして、祖母の言葉の通り、小さい頃から本物を見極める目を養うことも教わりました。

オーラソーマをお仕事として選択したときに、このお仕事は世の中の人が喜ぶ仕事だと確信しました。そして本能的に本物であると分かりました。だから何があったとしても今まで不安に思ったことは一度もありません。

祖母の生き方の極意は、今も私の中で生きています。

To be continued…

日時 : 7:51 パーマリンク コメント (0)