Over the Rainbow 〜7色の架け橋〜

立和田 環(Tamaki Tachiwada)

株式会社ヒューマンクリエイティブアカデミー代表
外資系企業においてマーケティングコンサルタントを経験後、イメージコンサルタントとして活動。『人と色』との関わりを数年にわたって探求し、『オーラソーマ』と出会う。
その後、イギリスオーラソーマアカデミー公認講師として10年以上に渉り全国のオーラソーマ・プラクティショナー(開業セラピスト)の育成に携わり、現在は、マイク・ブース学長の代理として、日本におけるオーラソーマ・ティーチャートレーニングLevel 1コースを教える講師でもある。
また、アメリカにて『神経言語プログラミング(NLP)』トレーナーの資格取得。

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My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅩⅡ.

2019 年 8 月 19 日


My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅩⅡ.
§ レベル1コースに参加―立和田正 §

今回は、久々に主人(立和田正)について書きます。
過去にも主人が私の初めてのコンサルテーションの練習相手として最悪な結果だったこと、そしてその後の主人のオーラソーマに対する変化などを書きましたが、いよいよ主人が私のレベル1に参加することになりました。
ただ、積極的な参加というよりも、私が沖縄にレベル1をティーチングに行く際に、今まで私も主人も沖縄には行ったことがなかったことから、コース終了後何日間か沖縄を観光しようということになったのがきっかけでした。
その時のコースは、オーガナイザーの方がいましたので、正式な受講料を支払っての一人の生徒としての参加でした。主人は、コース代金をオーガナイザーに支払うことは当然としても、なぜ私への講師料も支払ったんだろう?と後で気づいてブツブツ言っていましたが、「そこは、当然でしょ。」と私。
参加者は、確か12~14名ほどだったと思います。
もう一つ、ブツブツ言っていたことは、分らないことを私に聞いてもコース中の質問には答えても、コース以外では、「自分で答えを見つけて。」と他の参加者と不公平になるので、敢えて何も説明をしなかったことでした。主人は「冷たい!」と言っていました。
私は、知らなかったのですが、コース中他の参加者の方からは、「立和田さんは、分らないことは、いつでも奥さんに聞けていいですね。」と言われていたそうです。
主人は毎日ホテルに帰った後、ベッドに横になりながらテキストを広げて色彩の言語の復習をしているようでした。でもベッドに横になりながらなので、すぐに寝てしまっていました。(笑)
それでも感心なことに、毎日必ずテキストを広げていましたので、6日間コースの5日目に、「どこまで進んだの?」と聞いてみました。
すると主人は、「レッドの目覚め」と答えました。「えっ?一番最初のところ?」
当時のテキストは、最初の色がレッドから始まっていました。そこには、「目覚め」という言葉がありますが、「目覚めとはどういうことなんだろう。」と考えているとなぜだか眠くなり、いつもそこで寝ていたので、結局全然進んでいなかったようです。二人で大笑いをしました。

そういえば、主人は、まるでON/OFFのスイッチがあるかのように、体を動かしているか、寝ているかのどちらかで、体が止まっていると5~10分で寝てしまいます。いつも何か行動しながら考えたり、テレビを見ている時も何かをしながら見ているので(しかも1.3倍速で)、ただ普通にテレビだけを見ているという姿や、もちろんボ~ッとリラックスをしているという姿は、結婚して36年、未だに見たことがありません。ボ~ッとしているくらいなら、寝た方が体にはいいと言っています。
そんな主人が、ベッドに横になりテキストの字を見ながらでは、それは当然寝るための準備をしているようなものでした。それでも6日間のコース中、ずっと座っていても居眠りすることなく、コースが終えられたことが驚きでした。

コースが終了し、2日間ほどレンタカーを借りて沖縄観光をしました。11月の沖縄は、丁度いい涼しさで、とてものんびりといろいろなところを回ることができ、また途中、木陰に車を止めお昼寝をしたりして楽しい旅になりました。

その後暫くして、主人はマイクとクローディアの来日に合わせて、マイクのレベル3に参加しました。その際に車での移動の運転手をすることになり、車好きのマイクと車の話しや特に運転の仕方で意気投合したようでした。今でも、主人の運転には信頼を置いているようで、車で移動するときは、マイクは安心して助手席でよく寝ることができると言っています。

レベル3コースが終了した時に、マイクが主人に、コースに参加してどうだったかを聞いた時に、主人は、「頭で考えるのではなく、感じるということが分った。」と、言ったことに対して、マイクは一言「Very Good!」と言っていました。その時のマイクの表情と言葉で、主人は「これでいいんだ。」と思ったそうです。

その頃から、徐々に主人は人生の転機を迎えることになり、当時は、思ってもいませんでしたが、いつの間にか、主人はオーラソーマを仕事として取り組むようになりました。

To be continued…

〔アーカイブ〕
2018年11月からMy history with Aura-Somaのシリーズは、今回で32回目になりました。途中からお読み頂いている方から私がオーラソーマをスタートした頃のストーリーを読みたいとご要望頂きました。ありがとうございます。下記URLで1回目~4回目をお読み頂けます。
その後は、【過去の記事】のところを月順に進んで頂けましたら1回目~今回の32回目まで全てお読み頂けます。
https://www.hmc-a.com/tamaki/?m=201811

日時 : 15:59 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅩⅠ.

2019 年 8 月 12 日


My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅩⅠ.
§ Teacher Training Level 2コース §

レベル1コースのティーチングを何回か経験をし、Teacher Training Level 2に参加しました。コースが開催された場所は、オーストリアのチロル州都インスブルクでした。雪が積もるインスブルクの街郊外にある小さなロッジのようなホテルでした。インスブルクは、かつて冬季オリンピックが開催された場所として記憶がありました。T1に引き続き、ドイツ語の通訳がついたドイツ語圏からの参加者が多いコースでした。ほとんどの参加者がT1からの参加者でしたので、今度は顔見知りの人も多く、ドイツ語は分りませんが、少し慣れた雰囲気がありました。

当時のオーストリアのお金は、まだユーロが導入される前で、オーストラリアシリングが使われていました。そしてお札には、丁度レベル2の古代の知恵で学ぶ2ひきの蛇のヘルメスの杖が描かれていました。さすが医術が発展した国らしく、街の中にも、同じシンボルの看板を目にし、それが薬局や病院のシンボルになっていました。当時の私たち日本人には,あまり馴染みがないものでしたので、レベル2のコースで参加者にシリング札をお見せしようと思いつきました。

ロッジの窓から小高い丘が見えました。うっすら雪が積もりとても綺麗でした。その頂にはベンチが一つポツンと置かれていました。なぜかとても気になり次の朝早くまだ夜が明ける少し前に、その丘に登ってみました。小高い丘からはインスブルクの街が眼下に見えました。そして暫く一人ベンチに座り夜が明けるのを待ちました。夜が白み始めた頃、徐々にそしてゆっくりとペールブルーの空に、地上辺りがペールピンクになり始めました。そしてまさにB58:オリオンアンドアンジェリカ Pale Blue / Pale Pinkの色に染まりました。当時の私は、このボトルをよく選んでいたので、この神秘的な光景に暫く見とれていました。このときより前もその後も、これほど美しい朝の景色を経験していません。今でもしっかりと目に焼きついています。

インスブルクの街は、素敵なところがたくさんありますが、コース中はどこかに観光に出かけるほどの余裕もなく今にしてみればほんの少し残念な気もします。T2が終了するとL2のコースのティーチング予約が何カ所からか入っていましたので、T2のコース中からその準備に取りかかっていました。

レベル2の内容の中に、ヌメロロジー〔数秘学〕とそして当時はアストロロジー〔占星学〕がありました。実を言うと、T2では、言葉の関係もあり、その時はあまりよく分りませんでしたが、両方とも私がオーラソーマに出会う前にそれぞれについて深く学ぶ機会があり、十分慣れ親しんでいました。ヌメロロジーは、イギリス人の先生に学び、レベル4の論文のテーマとして更に独自に研究し、アストロロジーは、哲学的に研究をしている先生と出会い、その先生には生命の樹や、ジェムストーン(原石)との関連においても学びました。
オーラソーマと同じで、どちらも自分が探したわけではなく、また直接誘われたわけでもなく、いつも誰かが私と何かを結びつけてくれる人との出会いから始まっています。私にそれぞれを紹介して下さった人たちは、決してご自身がそれほど興味を持っているわけでもなく、またお会いしたことはあっても、私とそれほど親しいわけでもない人たちでした。そしてそれぞれの人が同じようなことを言いました。「自分には向いていないけど、なぜか環さんのことを思い出したの。」と。皆さんと元々がそれほど親しくなかったので、その時だけの不思議な繋がりの皆さんでした。でも私には、それが良かったのだと思います。
私は、どうやら強く勧められたり、誘われるとなぜか抵抗したくなるところがありますので、私が自然にその流れに抵抗せずここまで来ることができたのは、私に繋いで下さった方々のお陰だと思います。人と人との繋がりは本当に不思議なものだとつくづく思い出され、私の人生に関わって下さった皆さんに対して感謝の気持ちでいっぱいです。
 
T2時のいくつかの記憶が思い出されますが、オーラソーマに全く関係なく、ブログを書いていて今、突然思い出したことは、当時はまだ海外との行き来の際には、リコンファーム(フライトの予約確認)を48時間前までに航空会社にする必要がありました。もしそれを忘れると、自動的にチケットがキャンセルされてしまうことになるので、ロッジ(ホテル)から帰りのチケットのリコンファームのために航空会社に電話を掛けましたが、なかなか繋がらず結構大変でした。
時代の流れを感じます。今は本当に何もかもが、便利で楽になりました。

To be continued…

日時 : 23:36 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅩ.

2019 年 8 月 5 日


My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅩ.
§ 初めてのLevel 1コース➁ §

コース以外で気づいたことの一つに、オーラソーマコースでは基本ランチタイムは、イギリスでのコースと同様に一時間半ゆっくりと取ります。今では参加者もゆっくりランチタイムを楽しまれていますが、その当時の参加者の方は、一時間半という時間を持て余した様でした。

日本では、お仕事をしている方は、一時間のランチタイムというのが通常でした。今でもそうでしょうか。
私が会社で働き始めた頃は、50%外資系ではありましたが、職場には日本人が多く、日本人の上司に「仕事ができる人は、歩くのと食べるのが速い人だ。」と教わりました。早歩きは、体と脳の健康にいいそうなので、今では時折意識的に速く歩くようにしていますが、食べるのは、やはりゆっくりの方がいいですね。

(余談ですが、T1の時に、仲良くなったスペインやイタリアの人たちは、シエスタが有り、ランチタイムの後にお昼寝をする人が多いらしく、ランチタイムが一時間半では短すぎると言っていたことを覚えています。その後のDev Auraでのコースの時、日本人は比較的ランチの終了時間時は、セミナールームに戻って来ていますが、他の国の皆さんは、ベルを鳴らして呼びに行くことが多々あります。日本人は、時間に対して正確ですね。)

私がオーラソーマを始めた頃は、既にフリーランスになっていましたので、オーラソーマコースのランチタイムが一時間半という時間は、食事の後ゆっくりとコーヒーを飲むことができる喜ばしいものになっていました。
レベル1コースの初日、オーガナイザーの方とおしゃべりをしてゆっくりとランチを取り、それでも会場の鍵を持っているために、20分前に会場に戻りました。
しかし既にその時には、ほぼ全員の参加者が、ドアの前で待っていました。どうやらいつもの習慣で、50分位(一時間以内)で戻ってきていたそうです。
そして、「一時間半も何をしていればいいですか?」「早く始めましょう!」と言われたことが懐かしく思い出されます。

丁度同じ頃、私は一般のビジネスセミナーに参加しました。そこには、第一線で活躍されているビジネスマンの方や会社経営をされている方が参加されていました。ほとんどが男性だったと思います。その時の講師はアメリカ人で、その方が「ランチタイムは二時間です。食事後、ゆっくりお散歩などをして下さい。」と言った途端、参加者のほぼ全員が、「何のための散歩ですか?そんな時間の無駄なことをするくらいなら、その一時間で、早くセミナーを終了して下さい。できればその後会社に戻りたいので。」などの意見が多くありました。その時の会場は住友ビル内で、新宿中央公園の近くでしたので、講師の方は散歩をしたかったのでしょう。でも参加者の反対により、ランチタイムは、一時間になりました。私は、二時間の方が嬉しかったのですが、とても反対意見を言う勇気がありませんでした。私も、かつては、住友ビルでお仕事をしていましたが、一度もランチ後に散歩をすることは、考えたことがありませんでした。もちろんそのような時間はありませんでしたが。
今では、すっかりコース中の一時間半のランチタイムが、楽しみになっています。

もう一つ、新たな発見をしました。
それは、フラワーシャワーの素晴らしさです。オーガナイザーの方が、私がコース中少しでもくつろぐことができるようにと、わざわざ私にフラワーシャワーを1本下さったのです。

実は、それ以前に私はフラワーシャワーを使ったことがありましたが、その時の私の感想は、「これは、あまり良くない」というものでした。私の髪や肌は、とても乾燥しているので、それまでは、指触りの良いヘアーシャンプーやボディーシャンプーを使用していました。そして私の髪や肌、指がそれに慣れていました。それに比べてフラワーシャワーは、泡立ちもクリーミーではなくさっぱりとしすぎて物足りない感じがあったのです。ですので、一度使ったきりでその後は、使用していませんでした。

それでも、折角頂いたので使うことにしました。
するとコース中の疲れが、すっきりと取れたような気がしました。その時は気のせいかと思っていましたが、次の日の朝、なんと頭も体も軽くなっていたのです。この違いは、驚くほどのものでした。私は、改めてフラワーシャワーを見直しました。体に付いた汚れだけではなく、エネルギーフィールドを綺麗にしてくれるという感覚をはっきりと感じることができました。まさに軽やかになる感覚です。

それ以来20年間、手放すことができません。長期の旅には必ず持って行きます。メイクも落とせ、体も髪も全てフラワーシャワー1本で、その上、エネルギーフィールドまでが綺麗になる。今では、オーラソーマ製品の中のお気に入りの一つになっています。その時のオーガナイザーの方に、またまた感謝でいっぱいです。

私の最初のレベル1の体験は、自分自身やオーラソーマそして日本人の習慣に対してなど、気づきと感動の連続でした。そして参加者の皆さんからも色々学ぶことがありました。このときから、その後の私のオーラソーマティーチャーとしての活動が動き出し、ティーチングの機会が増えていきました。

To be continued…

日時 : 18:17 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅨ.

2019 年 7 月 28 日


My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅨ.
§ 初めてのLevel 1コース §

楽しみにしていた初めてのレベル1コースを迎えました。
コースには、14名の方が参加されました。
コースがスタートし、初めてお会いする皆さんに、私自身の短い自己紹介をしました。自己紹介と言っても、初めての方に、今までの私の経歴などの話しをすることはあまり好きではありませんので、その時、自然に私の中から出てきた言葉を話しました。

今もそうですが、毎回コースのスタートに当たって何かを話し出すのですが、いつも話す内容を考えて準備することはなく、寧ろその時私自身が話し出す内容に、私自身が興味を持っています。毎回異なっていますので、いつも「Here and Now」のライブ感覚です。
ただ、やはり最初のレベル1で話したことは、一言一句今もはっきりと覚えています。そして、今も尚、私の大切な指針になっています。

その時私が話した言葉は、「誰しも、毎日の生活の中では、いろいろなことが起こります。いつも楽しいことばかりではないかもしれません。それでもどんな時でも、しっかりと地に足をつけて、そして軽やかでありたいと思っています。だから私は、オーラソーマを選び、そしてこれからも続けていくと思います。」
この言葉は、自分自身のこととして誰かに話していると言うよりも、自分自身に話していたのだと思います。
この言葉を自分自身が聞いていて、最初に気づいたことは、2つのキーワード、「地に足をつける」と「軽やかでありたい。」です。
その時、改めて「そうなんだ。私にとって大切なことなんだ。」と確認できました。

まず「足が地につく:行動・気持ちなどがしっかりとして、落ち着いている」は、祖母の言葉として子供の頃から良く耳に馴染んでいた言葉でした。オーラソーマ的に言うと、「グラウンディング」「センタリング」「超然」の感覚でしょうか。
そして、もう一つの「軽やかでありたい」は、最初はなぜこの言葉が出てきたのか分かりませんでした。ただ何だかとてもしっくりきた感覚がありました。きっと当時は、軽やかとは言いきれない状態だったのでしょう。だから、「そうありたい」という言葉になったのかもしれません。
そして、後にこれらは、「オーラソーマシステム」そのものだということが分かり、私がオーラソーマに惹かれた理由が更に明確になったことを覚えています。

次に、コース中のこととして記憶に鮮明なことは、オーラソーマを説明するときに欠かせない「色」「鉱物」「植物」についてです。
何しろ当時の日本では、まず鉱物(クリスタル・ミネラル)について参加者がピンとこないことはもちろんのこと、それ以前に、植物、特にそもそも「ハーブ」という言葉も聞いたことがない方々がほとんどでした。その頃日本では、丁度イタメシ(Italian Food)がブームになりかけていた頃で、イタリアンのメニューには、バジルやローズマリーが使われ始めたころでした。できるだけ参加者の方が、イメージしやすくなるよう、段階を経て日本のハーブの一種として古くから薬草として使われていたことなどいろいろ例え話をしました。もちろんまだ日本では、アロマセラピーという言葉もほとんど誰も聞いたことがない頃です。
その後の何年かは、レベル1ではいつも「ハーブって何?」の説明から始まりました。
このようにして、重要と思われることで、参加者がわかり難いことを、分かりやすく説明をする訓練ができました。そして当時色々苦慮したお陰で、いつの間にか、分かりやすい説明が定評になりました。
もちろん、私が、分からない、知らないことに対する質問を受けるときもありました。重要と思われることは、確認して後ほど応えることもあります。ですが、どんな質問にも応えるというわけではありません。オーラソーマコースの内容に全く関係がない質問には、「ごめんなさい。わかりません。」と応えることも、他の参加者のためにも、話が本題から逸れてしまわないためにも大切なことだと思っています。

他にも言葉について、とてもご紹介しきれないたくさんのことがありました。25年近い時の流れの中で、最近では、オーラソーマコースでの説明が、本当に楽になりました。

To be continued…

日時 : 19:05 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅧ.

2019 年 7 月 16 日


My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅧ.
§ 初めてのLevel 1コースに繋がるまで ③ §

以前ブログにも書きましたが、日頃は、のんびりとした性格で、面倒なことはすぐ先延ばしにしてしまい、期限があるとやっとエンジンが掛かるという子供の頃からの習性があり、それでもラストスパートの集中力で、今まで問題なくクリアをしてきたため、「いつもいざとなれば、どうにかなる。」という、一見余裕のようにも聞こえますが、結局は、自分自身へ言い訳をして、実際は、自分の為の、そして期限がないものに対して、逃げていたのかもしれません。

つまり、私がオーラソーマティーチャーとしてスタートすることができたのは、私にとってこの最も私を制限していたものから出ざるを得なかったことにあるかもしれません。

まず最大のポイントは、「私を招待してくれたオーガナイザーの方が、私に期限を決めてくれたこと。」でした。しかもその期限は、私のためのものではなかったことです。誰が私を必要としている。しかもそれは、私がやる必要のあること。
この2つの条件が揃うと、「私は自分の責任を、自分のベストを尽くして、最大限に果たしたくなる。」そして、私の中のスイッチが一旦「ON」になると、かなりの集中力が出るようです。しかも、そのハードルが高ければ、高いほどチャレンジしてみなくなるようです。

当時、このレベル1コースに挑戦することは、私にとってはまだ十分確立されていない未知のものへの挑戦のように思いました。もちろん何度か再受講をしていましたので、大筋のことは理解していたと思います。ただオーラソーマシステムで使用されている言葉のニュアンスが、日常で一般的に使用されていない言葉であったことから、日本語で自分の理解を説明することは、ある意味ではティーチャーの説明次第という、責任重大な役割のようにも思えました。

そしてそのことだけでなく、私には何よりも絶対に乗り越えなければならない最大の挑戦がありました。それは、2017年(Beyond Colourアップデート)以降には廃止になりましたが、「論文:レベル4ワーク」と言われていた10の設問(15,000字~20,000字日本語)と自由研究(15,000字)に合格する必要がありました。当時はティーチャーレベル1コースに、参加することは容易でしたが、レベル1を開催するためには、ティーチャーとしてのディプロマの取得が必須でした。これこそ、もし期限がなかったら自分の意思で自分のためには、永遠に修了しなかったかもしれません。(笑)
レベル1の日程が決まっていると言うことは、必然的にそれまでに、レベル4ワークに合格する必要がありました。

私は、書店に行き、関係がありそうな本を十数冊購入し、私のデスクの上に並べました。そして1日最低1設問を完成させることを決め、取り組みました。その当時のことは今でも鮮明に記憶に残っています。
まず十数冊の本の全てを読む時間は到底ないと思い、(本来ならば全て読むといいと思いますが)設問に関わっているだろう本を手に取り、目次を探し、その項目の部分を読む。それで十分でない場合は、その前後の章を読む、という進め方をしていましたが、1つの設問に対して数冊の本が、関わっている場合も有り、なかなかその方法でも時間が掛かりました。
ただ、その経験の中で、人間が本気で集中したときには、想像も及ばない能力を発揮することができることを発見しました。それは、目次を探す時間もなくなったと感じた私は、まず、自分の直感で本を取り、そしてその本を開く、そうすると私が開いたページにまさにその設問に関連する内容が書かれている。それが何度も繰り返されると、別の意味で面白くなり、後半は全てこの方法で関連項目を見つけていくことによって、予定通り10日間で完成させることができました。
もう一つの自由研究は、「数秘学による人間の資質と潜在的可能性」にしました。
私は、中学・高校まで数学の先生になろうと思っていたくらい、数字のクリエイティブさが大好きで、私にとって、数学問題を解くことは、まるで推理小説の謎を解くことのように楽しいことでした。
この自由研究を4日間でまとめ、予定通りディプロマを取得し、レベル1までに無事に間に合いました。

その頃、私が何をやっているかを知らなかった主人は、後になって、「私のこと見ていて、あまりにもすごい集中力で何かに取り組んでいたので、声を掛けることができなかった。」と言って笑っていました。

生ぬるい私にとっては、限界を超えるほどハードな短期間でのレベル4ワークと自由研究に挑戦したことによって、「やればできる。」という自信も増し、またオーラソーマシステムを多角的に見ることもできました。特に、公的に一般の方への講演の依頼が来たときなどに、オーラソーマシステムへの導入の為の説明に対して、とても役に立っています。

これも、私に最初にオーラソーマコースを開催するチャンスを下さったオーガナイザーの方のお陰です。20年以上経った今も心から感謝しています。

To be continued…

日時 : 15:30 パーマリンク コメント (0)