My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅢ.
2019 年 6 月 11 日
My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅢ.
§ Teacher Training Level 1 ③-Dev Aura§
~なぜ私は今ここにいるのか?~
当時Teacher Training Level 1は6日間のコースでした。
一緒にコースに参加している人たちの中には、このコースの終了後にレベル1コースの開催のプランをしっかりと持っている人達もいました。もちろんそのためのコースですので当然と言えば当然なのですが、何の目的を持たずに参加をしていた私は、その当たり前のことに驚き、「え!そうなの?」と心の中でつぶやいていました。そして、そんな私にも「コースが終わったらすぐに、レベル1を教えるの?」を尋ねられた時には、全く考えもしていなかったので「そのうちね。」と答えることが精一杯でした。
根っからの面倒くさがり屋で、いつも受け身の私の性質からすると、よほどの強い使命感や目的意識が生まれない限りは、行動に繋がらないのです。今までも何かを求められた時、その使命を果たす責任感と情熱は十分持ち合わせていると思いますが、自ら能動的に何かをやり出すことはあまりありませんでした。
社会人になった最初の就職の時からも、アルバイト時代に幸運にもプロモーションの企画などで業績をあげることができ、また、その企業が主催したコンテストに優勝したことなどがきっかけでその企業からのスカウトによって入社し、その後も全て何かに導かれるままでここまで来ました。もちろんその時その時の選択は、自分自身で決断していますが、自分から能動的に手に入れようとしないその性質は、結局今も尚、ずぅっ~と続いています。
以前このブログで紹介しましたが、私の1番目のボトルがB50:エルモリア「神聖なる意志が求めることにYesを言う」であることが、後に明らかになったことで、私のありのままのクオリティーを洗練させていくということが、最も私らしく軽やかに生きていることの鍵になっています。
それはさておき、Chapter ⅩⅩ.に書きましたが、目的もなくただ参加していたこのティーチャーⅠコースで、私はその後のオーラソーマ人生を決めることになった出来事を経験することになりました。
それは、コース中にマイクが私たち参加者に尋ねた一言から始まりました。
それは、
「あなたはなぜ今ここ(Teacher Training Level 1)にいますか?」
と言う問いでした。
そして、この問いに対する自分自身の答えを、参加者一人一人が話していくことになったのです。その日は10人ほどの人が話し、次の日にまた続きの人から話すことになりました。
私は、思わず「ほっ」と胸をなで下ろしました。もし今日私の順番がやって来ていたならば、きっと何も答えられなかったでしょう。
ただ、この問いは、まさに私自身が向き合う必要があることでした。
「私は、なぜ今ここにいるのだろう???」
To be continued…
My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅡ.
2019 年 6 月 3 日
My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅡ.
§ Teacher Training Level 1 ②-Dev Aura§
Teacher Training Level 1初日の朝は、ジェットラグも有り、あまりぐっすりと寝ることができないまま6時ごろにベッドから起き出しました。夏とはいえイギリスの朝は涼しいというよりも寒く感じました。ルームメイトの二人は、さすがアルプスの麓に住んでいる方達なので、新鮮な空気がお部屋に入ってくるようにと、大きな窓を一晩中少し開けたままにしていたようです。
暫くして2人とも目覚め、キャリーナは、まず外階段の踊り場に出て、小鳥たちに語りかけるように歌を歌い始めました。毎朝の習慣だそうです。アルプスの麓で毎朝小鳥たちに歌いかけているなんて、その様子は、まるで大人になったアルプスの少女ハイジを思い起こさせました。
聞いていたとおりほとんどの参加者がドイツ語圏(ドイツ、スイス、オーストリア、オランダ)からで、その他少数のイタリア、スペイン、ハンガリーなどヨーロッパ諸国からの参加者だったと思います。そして最高年齢の参加者は85歳のアメリカから来られた方でした。その方は、足を悪くされていて杖をついていらっしゃいました。それでもとてもお元気で明るい方でした。
今にして思えば、その時のマイクの年齢は、今の私の年齢よりは遙かに若い47歳でしたので、きっと多くの参加者がマイクより年上だったかもしれません。
日本人は比較的年齢より若く見えるようで、ルームメイト達は、私を娘というよりも孫のようだと、可愛がって世話をしてくれました。
コース中のペアワークやコンサルテーションは、必然的にお互いに言葉が十分に通じないもの同士が組むことになりました。お陰でオーラソーマコンサルテーションの大切な鍵を受け取ることができました。
それは、言葉を超えて相手の内なる声を聴いている感覚でした。そしてクライアントとして話すときも、パートナーは誰もが、言葉を超えて本当にしっかりと受け止めようとしてくれていました。
同じ日本語の場合、毎日の日常の会話では、本来ならしっかりと理解するように聞き取れるはずが、ともすれば、聞いているようで聞いていないことがあるかもしれません。または、自分のフィルターを通して聞いていて、思い込みのようなものが、コミュニケーションの邪魔をしてしまうかもしれません。
プラクティショナーとして聴き取るのは、言葉の奥にあるもの、そしてクライアントは、プラクティショナーの受け止めようとする態度・存在がある故に、自分のために深いところから話すことができるということ。つまりプラクティショナーは、ただそこに寄り添っていることに価値があるということ。
今でも尚、その時経験した感動の感覚を忘れることができません。そして、私のプラクティショナーとしての基盤が、この時から更に益々洗練されてきたように思います。
To be continued…
My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅠ.
2019 年 5 月 27 日
Teacher Training Level 1-Dev Aura
ロンドンのキングスクロス駅から列車で約1時間半のところにグランサムという駅があります。そこがDev Auraに行くための最寄り駅になります。
(現在のキングスクロス駅は新しく改築されましたが、当時の駅は、あの「ハリー・ポッター」シリーズの撮影で使われたことで有名です。)
最寄り駅のグランサム駅は、とても小さな駅でした。改札口とは反対のホームに列車が到着しましたので、スーツケースを持って階段の上り下りをしなければならないと覚悟をした時、私の後ろからイギリス人男性が、「運びましょうか?」と声をかけてくれました。
私は、もちろん「ありがとうございます。お願いします。」を笑顔で即答しました。実は、その後も何回も列車でDev Auraに行きましたが、幸いなことに乗降客があまりいない小さな駅にもかかわらず、いつも誰かイギリス人男性が私のスーツケースを持ってくれましたので、今まで一度も重いスーツケースを持って階段の上り下りをしなくてすみました。
さすが紳士の国だと本当に感動しました。
そういえば、のちに聞いたことがあります。このような状況の場合、日本人は自分の重い荷物を持ってもらうことに遠慮をして「大丈夫です。」と断ってしまう人が多いそうですが、声をかけた方は、他人の荷物を運ぶことを怪しんで断られたと感じてしまう人もいるそうです。もちろん、相手によるかもしれませんので、特にロンドン(都会)などでは気をつけた方がいいかもしれません。
グランサム駅では、Dev Auraからミニバスがお迎えにきました。最寄り駅と言ってもそこからDev Auraまでは車で約40~50分ほど、のんびりとイギリスの美しい田園風景の中を走ります。
グランサム駅でミニバスに十人ほどのドイツ人の方と同乗しました。今回のコースには、ドイツ語のみ通訳が付くと言うことで、ドイツ人の方の中には、少し英語が分かる人やほとんど英語を話すことができない方もいました。Dev Auraまでは長い道のりでしたのでミニバスの中で私の名前と、日本から来たことを、片言のドイツ語で、自己紹介をしました。その後はお決まりの、挨拶やお礼などを日本語でどのように言うかなどを、皆さんから興味深く尋ねられましたのでシェアしました。本当に片言のドイツ語でしたが、何だかとても喜んでくれました。ほとんどの方が私よりずいぶん年齢が上の方のように感じました。
Dev Auraに到着し、私の部屋は2階(イギリスでは1F)階段を上ってすぐ右側の外階段が付いている3人部屋でした。
Dev Auraは現在とは大きく異なり、とてもかわいいコテージのようでした。現在のようにデジカメや、ましてや携帯電話で簡単に写真を撮るような時代ではありませんでしたが、私の記憶には鮮明に残っています。
キッチンの隣には、今と同じリビングが有りましたが、現在のような広いダイニングルームはありませんでした。奥には、広さが現在の半分ぐらいのセミナールームが有り、セミナールームに続く細い廊下の壁に添って長いカウンターテーブルが置かれていました。私たちは皆、横に並んで壁や窓に向かって食事をするようになっていました。
確かその壁には、Dev Auraができる前、森林だった現在の土地をヴィッキーが購入し、開墾中のシャベルや鍬をもったマイク達の写真が貼ってあったように思います。
私は、スイスとオーストリアからの参加者と同室でした。お部屋には、ヴィッキーが使っていたというダブルベッドが置かれていて、他には2段ベッドがありました。2人とも2段ベッドの上に上るのがつらいとのことで、一番若い私が2段ベッドの上を快諾しました。スイス人(マリーア)は英語がとても堪能でした。オーストリア人(キャリーナ)の方は、ほとんど英語が話せないとのことでしたので、マリーアが通訳をしてくれました。二人ともお仕事はすでにリタイアし、マリーアはスイスの教会で子供達のお世話をしていました。キャリーナは、オーストリアのチロル地方でご主人や仲間とアルプスの民族衣装を着て歌やダンスを披露しているとのことでした。
すでにコースが始まる前に、私はあまりにも日常と異なる環境に戸惑いながらも何だか未知なる冒険の旅をしているような気分でした。
To be continued…
My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩ.
2019 年 5 月 21 日
暫くぶりにブログを更新します。
2019年マイクの日本ツアーにご参加頂き、Practical Skills for practitioner, Essentials InstructorそしてL2&L3のそれぞれのコースでご一緒頂いた皆さま、ありがとうございました。
たくさんの皆さまとお話をさせて頂き、とても有意義で楽しい時間を過ごすことができました。今回ご参加頂いた皆さまはもとより、今後もできる限りのサポートをさせて頂きます。
My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩ.
§ Teacher Training Level 1 §
1997年、初めてTeacher Training Level 1に参加しました。今にして思えば、この時から本当の意味での私のオーラソーマ人生がスタートしたのかもしれません。
Dev Aura(イギリス)でのTeacher Training Level 1開催のお知らせは、私のところにやって来たという様な感覚でした。というのは、その頃の私は、オーラソーマにだんだん惹かれコンサルテーションを行うことにも喜びを感じていましたが、まだまだ独立した仕事としての認識がそれほど強くはありませんでした。
その当時は、私自身のメイクアップスクール以外でも、イメージコンサルタントとして企業から依頼された講演やメイクアップアーティストとして様々なショーでの活動、また更に技術を高めるために研究をしていました。つまり私の仕事としての意識は、オーラソーマよりも今までの仕事の方が、高かったと思います。
私の仕事を通して、私と出会ったことで、自信を取り戻し、輝いていく皆さんのお手伝いをしている喜びにいつも感動していました。驚くことにどんなにうらやましいほどに綺麗なモデルの方でさえ様々なコンプレックスを持っていて、いつもメイクをしながらカウンセリングのようになっていました。私としては、ある程度充実していましたので、オーラソーマはそういった仕事の一環という認識でした。
そんな私のところにTeacher Training Level 1の話がやって来たのです。その時の私の答えは、「別に参加してもいいですよ。」と、まるで他人事のような反応をしていました。
断る理由も、その流れに抵抗する理由もなく、イギリス旅行に行くぐらいの軽い感覚でしたので、それによってオーラソーマティーチャーになるという自覚はほとんどありませんでした。
オーラソーマ自体も、プラクティショナー(という名前すらなく)やティーチャーとしての登録システムもまだありませんでしたので、尚更自覚がなかったのかもしれません。
当時は、現在のブリッジコースをティーチャー1といい、現在のTL1⇒ティーチャー2、TL2⇒ティーチャー3、そして最終のTL3⇒ティーチャー4と言われていましたので、ティーチャー1の次はティーチャー2なんだと思っていただけでした。
そんな軽い気持ちで参加したティーチャーコースが、その後の私の人生を大きく変えることになるとは、私は全く思いも寄りませんでした。
このお話は、また次回以降にさせて頂きます。
To be continued…
My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅨ.
2019 年 4 月 22 日
§ オーラソーマコンサルテーションを始めた時 ②§
以前にも書きましたが、私がコンサルテーションを始めた頃は、日本にはティーチャーが一人も存在せず、ワークブック(テキスト)もなく、ボトルについての情報というものがほとんどありませんでした。
寧ろ私にとっては、まさにそのことが幸いしました。
何度かコンサルテーションを行っている内に、同じボトル、同じ色を選ぶ人たちに共通点があることに気づきました。また日本という社会性、教育、環境の中での共通の条件付けのようなものにも気がつきました。それはまた私自身の中にあるものでもありました。
このようにして、コンサルテーションを行うことによって、クライアントの方から多くのことを学ぶことができました。つまり私のティーチャーは、クライアントの皆さんでした。
それは、ボトルについてだけではなく、私自身についても同様です。
そしてコンサルテーションを始めた頃から、私にとっては、「こんなに有り難いお仕事はない」ということに気がつきました。
ほとんどのお仕事の場合、お金を頂くときは、お金を受け取る側がお礼を言います。ですが、このお仕事は、たくさんの「ありがとう。」の言葉受け取り、更に自分自身の成長につながり、そしてお金まで頂けるお仕事。そしてこれらと同時にクライアントの皆さんの笑顔と幸せのエネルギーのお裾分けを頂ける。
だからこそ、私も感謝と共に、全てのコンサルテーションに対して、誠実に向き合い最善を尽そうとうと思いました。
オーラソーマティーチャーとしても、コンサルテーションは最も大切なお仕事の一つであることは言うまでもありません。
これらのことに気づいたときに、子供の頃に祖母に言われた言葉を思い出しました。
祖母は、25歳の時に列車の脱線事故で突然夫(私の祖父)を失い、2歳(母)と生まれたばかりの子供(叔母)を抱え、戦後の混乱の中、自らの会社を起こしました。
私の想像の中ではきっと大変な苦労をしたのだと思いますが、祖母は、「あの時代は皆そうだったから。」とにっこり笑ってさらっと言っていました。そして私が生まれた時に、45歳で会社の経営から引退をし、私を育てながら私に多くのことを教えてくれました。
そして、その教えの中に
「お金は追いかけたら逃げる。どんな時も感謝を忘れずに、世の中の人が喜ぶことをやりなさい。そうすればお金は必ず自然に後からついてくる。」「そしてそのためにも本物を見極めること」という言葉があります。祖母の経営哲学です。
小さな子供達を抱えてまともに食べるものさえない時代からも、会社を運営しているときも、先を見据えて、決して目の前のお金を得ることを考えてはいなかったそうです。祖母は本当の意味で地に足が付いた生き方をしていました。
そして、祖母の言葉の通り、小さい頃から本物を見極める目を養うことも教わりました。
オーラソーマをお仕事として選択したときに、このお仕事は世の中の人が喜ぶ仕事だと確信しました。そして本能的に本物であると分かりました。だから何があったとしても今まで不安に思ったことは一度もありません。
祖母の生き方の極意は、今も私の中で生きています。
To be continued…
My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅧ.
2019 年 4 月 15 日
§ オーラソーマコンサルテーションを始めた時 §
1995~7年頃、オーラソーマシステムには、またプラクティショナー及びティーチャー登録システムがスタートしていませんでした。
イクイリブリアムボトルセット、ポマンダーセット、クイントエッセンスセットがあれば、コンサルテーションを始めることができました。
現在はプラクティショナー登録制度がありますので、レベル3終了後、自分の意思でプラクティショナーとして活動をするための登録をします。
私のコースに参加された皆さんには、「プラクティショナー登録をするために、特別な覚悟のようなものや、コンサルテーションを行う自信などは、全く必要ありません。コンサルテーションを始めようと思えば、レベル3を修了し、ボトル、ポマンダー、クイントエッセンスセットを手にすれば、いつでもプラクティショナーとしてアカデミーに登録をし、コンサルテーションをスタートすることができます。そしてコンサルテーションは、やっていく内にだんだん慣れてきます。」と当時の自分を思い出してそのように伝えています。
プラクティショナーとして登録そして活動をするかどうかは、もちろんそれぞれの方の自由意志によるものです。もし自分を苦しめるとするならば、「コンサルテーションをやっていきたいけれども、自信がなく、なかなか始められない」と自分を制限してしまうことかもしれません。
もっと自然に、そして自分に素直になってまずはやってみようとワクワクしてみてください。
オーラソーマコンサルテーションに限ったことではなく、何を始めるにしてもまずは自分が何をするかを誰かに伝える必要があります。
当時、世の中はもちろん現在のようにインターネットの環境などが全く整っていませんでしたので、告知をするアイディアがすぐには見つかりませんでした。ましてや営業的な行動が苦手な私は、自分から声をかけることができず、もし声をかけたとしても言葉でオーラソーマについて説明もできず、と言った状態でした。
そこで、まず最初に2つの選択肢がありました。
①.苦手な営業をうまくなる努力する。
②.苦手を克服するよりも、今自分ができることに知恵を使う。
私が選択したのは、もちろん②の方でした。もともと営業的な行動を楽しんで行うことができる方もいます。それはとても羨ましいです。
私にとっては、苦手なことを努力するよりも大切なことは、どのようにすることが自分をワクワクさせるか、楽しめるかということに知恵を使い、そのアイディアを試してみることでした。
幸運なことに、私のそんな状態でもボトル(イクイリブリアム)セットという存在は、人を引きつけました。
私がほとんど何も説明ができなくても、ボトルセットを見る機会さえあれば、どうやらオーラソーマを必要としている人々の意識と潜在意識に働きかけることが分かりました。
そして不思議なことに、約四半世紀経った今、更にはっきりと言えることは、ボトルを見た時からたとえ何年経っていたとしても、その人にとってのタイミングが来た時に、ふと色鮮やかなカラーコンビネーションのボトルセットを思い出すようです。
現在までに「実は最初にボトルを見たのは、10年以上も前のことです。」という言葉を、記憶しきれないほど多くのの方から聞きました。
つまり、とにかくボトルが誰かの目に付くように工夫することが、最初にできることだと思いました。本物のボトルは生きているエネルギーと言われるように、写真とは比べられないほどインパクトがあり、人々の記憶に残ります。
ボトルセットをメイクアップスタジオ兼教室に設置していましたので、メイクアップレッスンの生徒さんやお客様の目に必ず止まりました。そしてこの存在感のあるボトルセットを見て、100%の人が、「これは何ですか?」と私に尋ねました。
次に私が行ったことは、「これは何ですか?」と尋ねられた時に、簡単にわかりやすく、まずは5分以内で、私らしい雰囲気で、私らしい言葉を使って、コンサルテーションの魅力を伝えられる様になるための練習をしました。
これが今では、PPSコース:パーソナルプレゼンテーションスキルコースになっています。
自分からは、声をかけられなくても、聞かれたことにただ答えればいいと思ったのです。
いろいろなバーションを実践で何回も試しました。
その時は、すぐにコンサルテーションの申し込みがなくても、私自身の将来のための練習と思っていました。
今では、長年の経験によってオーラソーマシステムの益々の深い理解と共に、シンプルに分りやすく説明することが私の得意とするところになっています。
To be continued…
My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅦ.
2019 年 3 月 25 日
§ 主人のオーラソーマに対する変化 §
以前もお話ししましたが、最初の主人へのコンサルテーション以来、主人に対しては取り立ててオーラソーマについて話すこともありませんでした。
当時は、メイクアップレッスンの教室で、オーラソーマコンサルテーションも行っていました。メイクアップレッスンにいらっしゃったお客様の時と同様、クライアントの方がコンサルテーションにいらっしゃった時やお帰りになる時、主人が、時々挨拶をしてくれることがありました。
そんなある日、クライアントの方をお見送りした後で、主人が驚いた様子で「さっきの人は同じ人?」と聞いてきたのです。
最初は、何に驚いているのか分からなかったため、主人に「どういうこと?」と尋ねると、「お迎えをした時と、帰る時とでは、まるで別人のように顔や雰囲気が全然違う!」
確かに、ほとんどのクライアントの方がコンサルテーションによって、表情などが柔らかくそして明るくなり雰囲気が変わることに私も気づいていましたが、主人があまりにも驚いたことに私は驚きました。コンサルテーション中に徐々に変化をしていく経過を見ていないので、主人が言うようにコンサルテーション前と終わった後では、まるで別人のように変化をしているということに、私自身も改めてとても興味深く思いました。
その後、クライアントの方の変化に興味を持った主人は、コンサルテーションの際に何度か挨拶に出て来るようになり、その度に驚いていました。
そして毎回一言「すごいね!」と言うようになりました。
それからまた暫くして、主人は、私に対して言いました。
「最近何だか楽(らく)そうだね。いいなあ。」
この言葉には、私も驚きました。
確かに以前と比べて私自身も変化してきていたとは思いますが、クライアントの方の変化に対しては気がついても、いざ自分のこととなるとなかなか気がつきにくく、また実のところ普段はそれほど自分自身に対して意識を向けていませんでした。
主人に言われて初めて、確かに何だか楽になってきていることに気づきました。
そしてまた暫くして、主人の様子にまたもや驚かされました。
ある日、メイクアップレッスンのお客様がいらっしゃった時のことです。
私は、お客様を教室にお通しし、キッチンで飲み物を入れていました。
そこへ主人がお客様に挨拶をするために教室に入ってきました。
その時、お客様が、教室に飾ってあるイクイリブリアムボトルセットを見て
「これは何ですか?」と主人に尋ねたのです。
なんとそれに対して主人は、
「この中から4本のボトルを選ぶのです。」と説明を始めたのです。
私は、キッチンから出ずそのまま聞いていました。
「そして、選んだ1番目のボトルは、その人の人生のレッスンや使命や目的を現し・・・・・。」
と、4番目のボトルまで説明をしたのです。
『いつの間に!?』私は本当に驚きました。
後で主人に聞くと、私がデスクの上に置いてあった資料などを密かに読んでいたそうです。
また、時々主人がお客様にお茶を入れながら、私が説明しているのを聞いていたそうです。
私にとって私自身が自由にオーラソーマに携われているだけで良かったので、敢えて主人に理解してもらおうとしなかったことが、主人にとっては、どうやら良かったようです。
To be continued…
My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅥ.
2019 年 3 月 18 日
§ オリジナルホワイト ポマンダー§
前回に引き続き、今回はオリジナルホワイト ポマンダーについて少しお話したいと思います。
オーラソーマポマンダーは、私たちのエネルギーシステムを浄化しリフレッシュするために使います。
現在17種類あるポマンダーの中で最初に誕生したオリジナルホワイト ポマンダーは、他のポマンダーとは少し異なるユニークな使い方をすることもできます。
主人が初めてオーラソーマ製品を使用したのは、このホワイトポマンダーでした。
それは、私がレベル3を修了したばかりの頃、モーターホーム仲間とカナダに行った時のことです。
大きなバスタイプのモーターホームを、それぞれの家族が1台ずつレンタルし、ロッキー山脈のエリアを2週間かけて旅をしました。
カナダの雄大な景色の中をドライブし、夜はモーターホーム専用のキャンプ場に駐車し滞在しました。
大自然の中なので、予想通り私も主人も結構蚊に刺されました。
私は、日本から○○コーア(市販のかゆみ止め)とホワイトポマンダーの両方を持っていっていました。そしてちょうどよい機会なのでどちらが役に立つかの実験をすることにしました。
実験台は、全くオーラソーマに対して先入観のない主人に試すことにしました。
主人には、オーラソーマ製品だと言わずに、「左手の刺されたところには市販のかゆみ止め」を塗り、「右手の刺されたところにはホワイトポマンダー」を塗りました。
しばらくすると、主人が「左手の方がまたかゆくなってきたので、右手に塗った白い容器の方を左手にも塗りたい。」と言ってきました。
その後は、蚊に刺されたらすぐにホワイトポマンダーを使うようになりましたので、オーラソーマ製品であることを伝えると、ちょっと驚いて少しだけ興味を持ったようでした。
そしてそれ以来、我が家では市販のかゆみ止めを買ったことがありません。更に私にとって嬉しいことは、ホワイトポマンダーは傷跡が残りにくいということです。
オリジナルホワイトポマンダーは、ポマンダーとしての通常の使い方以外にこのようなユニークな使い方もできます。
オーラソーマ製品は、バイオダイナミック農法で栽培されたハーブなど天然植物が主原料になっています。
ハーブは薬草としての役割があると言えます。
日本でも、昔は家で薬草を育て日常的な症状の緩和に使用していました。私が子供の頃も、町に病院も薬局もありましたが、祖母が庭で様々な薬草を育てていましたので、重症でない限り、庭から薬草を取って手当てしてくれました。
「白衣の医師」とも言われるホワイトポマンダーとB1:フィジカルレスキューボトルは、自宅に常備し、国内であろうと、海外であろうと旅行に出かけるときは、必ず忘れずに持っていきます。(B1:フィジカルレスキューは、携帯に手軽なポケットサイズのものがあります。)
この2つの製品によって、今までの20年以上の間に、ここで書ききれないほど様々な状況で助けられました。中には、数々の緊急事態の時もありました。本当に「持っていてよかった。」という製品です。
残念ながら薬事法との関係があり、医薬品でないものの効果効能について、公の場でこれ以上具体的に記述することは叶いませんので、このぐらいにしたいと思います。
興味がある方は、ぜひ直接私にお尋ねください。
To be continued…
My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅤ.
2019 年 3 月 11 日
§ ポマンダー §
イクイリブリアムボトルを使い出したものの、それ以外のものはまだ使っていませんでした。
にもかかわらず、クライアントの方たちが、ポマンダーやクイントエッセンスを購入していく様子をみて、寧ろ驚いていました。
そして、さすがにクライアントの方たちに説明をしていく上において、私も使わないわけにはいかないと思いだしていました。
そんなある日、久しぶりに2度目のコンサルテーションを受けに来られたクライアントの方から、とても興味深い話を聞きました。
その方は、コンサルテーションルームに入るなり「ポマンダーってすごいですね。」と目をキラキラさせて言ったのです。
この方は、最初のコンサルテーションで、ボトルとポマンダーを購入し、その後ボトルは使っていたのですが、ポマンダーは暫くするとすっかりその存在も忘れてしまっていたそうです。
ところがある日、会社でミスをして上司からひどく叱られ、涙が止まらなくなり、思わず化粧室に飛び込んで暫く泣いていたそうです。その後デスクに戻ってきたものの、なかなか立ち直れずに仕事も手に付かず落ち込んでいたとき、どこかから何だか懐かしいような心地のいい香りがしてきたそうです。そして少しずつ気持ちも落ち着いてきたところで、その心地のいい香りがどこからしているのか周りを探してみると、毎日持ち歩いている自分のバックから香ってきていたそうです。実は、そのバックの内ポケットに、サファイアブルーのポマンダーを入れたままにしていたことに気づいたと同時に、なんとポマンダーの蓋の隙間からサファイアブルーのポマンダーが溢れ、内ポケットがポマンダーですっかり濡れていたそうです。
彼女は、ポマンダーという存在すら忘れていたほどなのに、自分自身がネガティブな感情でいっぱいになっていた時に、ポマンダーによって気持ちが落ち着いてきたことに、本当に驚いたそうです。そしてその時から、毎日使うようになったそうです。
その方からのフィードバックを聞いて、驚いたのは私も同じでした。
それでも、自分が体験しない限りには、にわかに信じられない疑い深い私は、論理的に証明できないものは、理屈として理解しようとするのではなく、まずは「使ってみよう!」と心から思いました。
このことがきっかけで、クイントエッセンスやカラーエッセンス(当時はティンクチャーという名前でした)他にもいくつかあるオーラソーマ製品を、私自身が日常品として日々使用するようになりました。
現在、私のスクールHMCAでは、コンサルテーションを受けに来られたクライアントの皆さんやコースに参加の生徒の皆さんが、まずは可能な限りの製品を試して頂けるようセミナールームに展示しています。
そしてオーラソーマ製品については、私自身が使いこなしてきた経験や今までのたくさんの方からのフィードバックをお話できるようになりました。
To be continued…
My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅣ.
2019 年 3 月 5 日
◆私のお誕生日に際しては、facebookなどで皆様からたくさんのメッセージを頂き本当にありがとうございました。
どうしてもお一人お一人を思い浮かべながらお返事をしたくて、まだまだお返事に時間が掛かりそうです。
まずは、facebookのタイムラインに頂いた方から順にお返事をしておりますので、Messengerに頂いた皆様に到達するのは今暫く掛かりそうです。どうかお許しください。
ー立和田 環🍀ー
♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡
My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅣ.
§ 孤独 §
「友達がたくさんいることと、孤独ではないということとは、イコールではない。」
以前ブログに書いた、レベル2が終了した次の日に受けたコンサルテーションで、「私は、いつも周りには沢山の人や友達がいて孤独ではないと思う。」と言った私に対してのティーチャーのこの言葉の意味が、全く理解できないまま時が過ぎていました。
B78:Violet / Deep Magentaのボトルを使い終わり暫く経ったある日、コンサルテーションにやって来たクライアントの方がB78を一番目に選びました。
「いつも一人で考えすぎてしまって、結局何もわからないのです。でもこうやって誰かにもやもやしている頭の中にあるものを、ただ聞いてもらっている内に、何だかすっきりしてきました。」
クライアントの方のこの言葉を聞いた時、ふと気づいたのです。
まさに、「クライアントは、プラクティショナーであるあなたに、何かを教えに来ているのです。」の通りです。
子供の頃から両親や学校の先生など周りから期待されて育ってきた私は、困ったことがあっても自分自身について、誰かに打ち明けたり、仕事で忙しい両親に、それを言っても仕方がないから自分で解決しよう。としていました。
それどころか、いつの間にか、誰かに悩んでいることを打ち明けることは、愚痴を言っているようで良くない。と自分に言い聞かせるようになっていました。
そして大人になって、何か大きな問題があっても、友達にはその問題が解決してからでなければ伝えられなくなっていました。
「あの時は、○○で本当に大変だったの。でも今はもう解決したから大丈夫。」
そう言うと友達からは「そうだったの。全然分からなかった。どうして大変なときに言ってくれないの。」「何もできないかもしれないけど、聞くことぐらいはできたのに。」とよく言われていました。
それでも私は、“私の問題は、私の問題だから。誰かに聞いてもらったぐらいでは、何も解決はしない。”と、疑いもなく思うようになっていました。
オーラソーマに出会い、ボトルを初めて使った頃、結婚してすでに10年以上経っていましたが、実のところ主人に対しても同様に、何かがあっても解決してからの事後報告でした。
つまり私は、周りには沢山の人がいても、いつも一人だったのです。
B78のボトルを使うことで、この自爆から解放され、何の葛藤もなく自然にこのことが私の口から放たれていきました。それを主人はただ聞いてくれました。話している内にそして聞いてもらうことで,更によりクリアになりました。
同時に初めてボトルを選んだ時のB26:Orange / Orangeのボトルについても、とてもクリアに理解できました。
そして今では、それぞれのタイミングで二番目に選んでいたB26:Orange / OrangeとB78:Violet / Deep Magentaを私の才能の一部として洗練していくために、オーラソーマに出会ったのだと思っています。
私の一番目のB50:Pale Blue / Pale BlueとB26:Orange / Orangeは、その後何本も使いました。
「ボトルを使う。」たったこれだけで、本当に生きやすくなりました。
そして私自身である色をフル・チャージしていくことで、自分自身の色で生きていることを実感しています。
「あなたはあなたが選んだ色であり、それらはあなたの存在が必要としているものを映し出しています。」
実際に体験したことで、この言葉の持つ意味が,本当に腑に落ちています。
最後に、「答えは、あなたの中にあります。」の通り、今回のシェアの内容は私の中にあったストーリーです。同じB78やB26のボトルでも、その方にとっての答えは、その方の中にあります。ボトルを使うことでの深い気づきは、それぞれの人によって異なります。
だからこそ、オーラソーマカラーシステムは、本物である所以かもしれません。
To be continued…