Over the Rainbow 〜7色の架け橋〜

立和田 環(Tamaki Tachiwada)

株式会社ヒューマンクリエイティブアカデミー代表
外資系企業においてマーケティングコンサルタントを経験後、イメージコンサルタントとして活動。『人と色』との関わりを数年にわたって探求し、『オーラソーマ』と出会う。
その後、イギリスオーラソーマアカデミー公認講師として10年以上に渉り全国のオーラソーマ・プラクティショナー(開業セラピスト)の育成に携わり、現在は、マイク・ブース学長の代理として、日本におけるオーラソーマ・ティーチャートレーニングLevel 1コースを教える講師でもある。
また、アメリカにて『神経言語プログラミング(NLP)』トレーナーの資格取得。

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My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅥ.

2019 年 7 月 2 日


My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅥ.
§ 初めてのLevel 1コースに繋がるまで ①§

Teacher Training Level 1が終了し、今まで通りイメージコンサルタント及びメイクアップアーティストとして、またそれぞれのプロフェッショナルの養成コースなども開催していました。
と同時に、口コミなどのお陰で、オーラソーマコンサルテーションを続けて行なっていました。まだ、自分自身でオーラソーマコースを開催するというプランは、その時は相変わらず具体的なものはありませんでしたが、ただコンサルテーションが何よりも重要で、基本だと思っていました。

そのような状態の中で、海外のティーチャーがオーラソーマコースを教えるために来日した際には、レベル1やレベル2を再受講したりしていました。

そんな折り、Dev Auraでブリッジコースの開催が有り、私は日本からの参加者のサポートとして参加することになりました。そのブリッジコースに参加していたお一人が、私の名前を見た瞬間に、その方曰く、「立和田 環」と言う名前に、まだ私とは会っていないにもかかわらず、何か強い閃きがあったそうで、ブリッジコースを修了したら、自分でオーラソーマコースをオーガナイズし、私をティーチャーとして招きたいと、思いついたそうです。
そして思いがけずDev Auraで私に出会い、「これは間違いない」と、思われたそうで、出会った瞬間に、「参加者を集めるのでコースを教えに来て下さい。」と申し込まれました。
あまりにも突然のことで、また私は、いつものように「そのうち機会があれば。」とお返事しました。
そして、ブリッジコースが終わりお別れの際に、もう一度頼まれた時にも「そのうちタイミングが合えばね。」と言葉を濁してお返事しました。

ところがそれからわずか数日後、その方からお電話があり、「3ヶ月後の○月○日~○日までの6日間、スケジュールを空けて頂くことはできますか?」と言われ、確かに3ヶ月先の日程でしたので、スケジュール的にはその週にはまだ仕事の予定が入っていませんでしたが、その前に、本当に連絡が来たことに驚きました。そして私の心の準備が整っていませんでしたので、お断りをしようかと相変わらず言葉を濁していたときに、「実は、すでに会場を予約し、新聞に生徒募集の記事を載せる契約をしてきました。」と言われました。そしてその記事に、講師として私の名前を掲載したとのことでした。
ここまで段取りを整えて下さったことに対して、本当に有り難いと心から感謝しました。そしてさすがに、ここでお断りをするわけにはいかない。と覚悟を決めお引き受けしました。

私は、今までも何かを決めるまでは結構面倒ですぐ先延ばしにしてしまい、なかなかスタートができませんが、ただ一旦やると決めると、その後は何があっても全く迷わずに、我ながらかなりの集中力がでます。
今までも、そのようにしてうまく乗り越えてくることができたので、良くも悪くもいつも心の中で、『やるべきことをやっていれば、必ずなんとかなる』と、ある意味で楽天的なところがあります。

そこから、初めてのレベル1コース開催に向けて自分自身の準備を始めました。

今、こうやって改めて自分自身について振り返っていると、今更ながらに有ることに気づきました。
どうやら、私は自分のための目標に対しては、面倒くささが出て、あまり夢とか目標とか持つことにすらエンジンが掛からない。でも、確かに、誰かに期待をされるといつも全力でそのことを成し遂げる。私が力を尽くすことで、誰かが喜ぶことが、私の喜びなのでしょう。

子供の頃に、母に言われてたことをふと思い出しました。「環は、お父さんに似て、誰かの為に一生懸命になることはとてもいいところなんだけど、お父さんは人が良すぎて利用されてばかりだから環も大人になったら気をつけなさい。」確かに、父は本当に無欲な人です。でもそのことに対する不満や愚痴は、聞いたことはありません。
そういえば、主人もその点では、父と同様、人のために全力を尽くし、自分のためには、本当に無欲な人です。

〈余談ですが、主人とは最初がプロポーズでした。その時、主人のことをあまりよく知らなかったので、どのような考え方を持っている人なのかを知るために、いくつかの質問をしました。その中で、「あなたの将来の夢は何ですか?」と聞くと、驚いた顔をして、「夢?」「そんなこと、今まで考えたことがないかなあ。」このやり取りは、私が21歳、主人は24歳でした。きっと今聞いても同じことを言うと思います。(笑)〉
〈あっ! 今思い出しました。7月1日は、私たちの36回目の結婚記念日でした!!もう過ぎている(^_^;) こうやってほぼ毎年忘れている(*^_^*)〉

To be continued…

日時 : 14:12 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅤ.

2019 年 6 月 24 日


My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅤ.
§ Teacher Training Level 1 ⑤-Dev Aura§
~なぜ私は今ここにいるのか?~

Teacher Training Level 1 の間に、私はもう一つの大切な確信を得ました。

以前のブログにも書きましたが、一緒にコースに参加していた皆さんの内の何人かの方が、今までの仕事をリタイア(定年退職)して参加されていて、これからの人生は、自分の生きがいになるようなことで、世の中に貢献したい。ということを言っていました。
とても素敵に年齢を重ねられていることが、お顔の表情や姿形から溢れていらっしゃいました。

この仕事は、もちろん年齢制限はなく、それどころか年を取れば取るほど、様々な経験から人生の深みが増し、更に洗練されていく可能性がある仕事だと思いました。

時々コースなどで、冗談で笑い話のように言うのですが、
「座って行なうこの仕事は、たとえ年を重ね体が不自由なったとしても、もしかしたら生きている限りは、自分がそうしたければ、現役で続けられるかもしれない。」
ちょっとオーバーに聞こえるかもしれませんが、実は本当にそう思ったのです。
その時、私の人生の目標が見えてきました。「そうだ! いつも笑顔の可愛いおばあちゃんになろう!」
その後も将来の目標や夢を聞かれる度に、いつもそう言ってきました。

その時、ある光景を思い出しました。
ある年の敬老の日、100歳のおじいさんに、TVでのインタビューがありました。その方は毎朝早くに畑に出て、そこで採れた野菜を、近所の人たちに配っていました。そのおじいさんの笑顔と近所の方々との交流を見たインタビューアーが、おじいさんに尋ねました。
「お元気ですね。何歳まで働かれるつもりですか?」
その質問に対して、「体が動くまでずっとはたらくつもりだよ。」「はらたくというのは、はた(傍)が、らく(楽)になるためにすることなんだよ。」とおじいさんは満面の笑顔で言いました。
その時のおじいさんの笑顔とその言葉に、「こんな素敵に年を取りたい。」と、私は本当に感動しました。そしてその時、私ながらに、ふと気がつきました。そういえば、「働く」という漢字も「人」が「動く」と書く。
物質的であれ、肉体的であれ、感情的であれ、心理的であれ、精神的であれ、あらゆる分野で「周りの人(たった一人の目の前の人)が楽になる」そのことに携われたら、きっと本当に充実した生き方になるかもしれない。

そして、そこから20年以上の月日が流れ、私も世の中的に、おばあちゃんと言われる年齢になりました。そして分かってきたことは、オーラソーマで言う一番目のボトルの現す「使命・目的」を生きることは、自分自身である色を思い出していく、明らかにしていくプロセスであり、その色である自分自身を生きていくということ。
そのことが、実は社会に向けて、一緒にいる周りの人に向けて、そして目の前の誰かに向けて、もしかしたら自分が気づかないうちに、自然に何かの役に立っているかもしれない。
でも、そのことには意図的にならないでいたいと思います。

※上部写真は、ここ最近のDev AuraのBack Garden「Memorial Garden for Vicky Wall」にある、ヴィッキーの「Go Hug a Tree」の木の写真です。TL1当時から比べると、ずいぶん大きな木になりました。20年以上の時の流れを感じます。

To be continued…

日時 : 16:18 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅣ.

2019 年 6 月 17 日


My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅣ.
§ Teacher Training Level 1 ④-Dev Aura§
~なぜ私は今ここにいるのか?~

「あなたはなぜ今ここ(Teacher Training Level 1)にいますか?」
このマイクからの問いかけに対して
「私は、なぜ今ここにいるのだろう???」と自分自身に問いかけました。
しかし答えは出ず、その日の夜もまたよく眠れないまま次の日の朝を迎えました。ベッドの中で時計を見ると、丁度5時でした。外はほんのり薄明るくなっていました。ルームメイトを起こさないようそっと部屋を出て、下のダイニングルームへ静かに降りて行きました。
誰もいないダイニングルームは、静寂そのものでした。私は、ソファーに腰を下ろし、何をするわけでもなく、静かにただそこにいました。暫くして私はソファーの横の小さなサイドテーブルの上に、小さなグラスに入ったエンジェルカードに気づき、おもむろに1枚カードを選びました。そのカードには「Responsibility」と書かれていました。さして気にとめることもなく元あったグラスの中に戻しました。
その日も私の順番にはなりませんでした。

次の日の朝、目覚めると時計はまた5時丁度でした。昨日も今日もアラームによって目が覚めたのではなく、なぜか同じ時間に自然に目覚めたのです。
私は昨日と同じようにダイニングルームへ行き、ほんの暫くぼぅっ~とし、することがないのでまたエンジェルカードを選びました。そのカードは、またもや「Responsibility」でした。「?!」この偶然に少し驚きました。でもすぐに「まあ。そういうこともあるだろう。」と気にもとめずにその日を過ごしました。
その日は、明日はいよいよ間違いなく私の番が来るというところで終わりました。それでも私の中には、何の答えも見つからないままでした。

3日目の朝、やはり5時丁度に目が覚めました。また同じようにダイニングルームへ行き、ソファーに腰を下ろし、ふと、そういえば、2日間続けて同じカードを選んだことを思い出し、今度は、もっとしっかりシャッフルしました。何か今日発表するヒントが欲しいと思い、普段の私らしくなく藁をも掴む思いでした。
そしてカードを見て「えっ!」思わず声を出しました。そこに書いてあったのは紛れもなく「Responsibility」でした。

さすがの私も、3日間続けて選んだ「Responsibility:責任、するべきこと、職務、任務・・・???」英語の意味を知っていたとしても、これは一体私にとってどのような意味があるのだろう?
考えていてもその答えは出ず、気分転換にDev Auraを出て、朝の爽やかな、清々しい空気の中で散歩に出かけました。

そして、コースが始まりいよいよ私の番が来ました。
驚くことに私は話し始めたのです。十分とは言えない英語で。
「私は、オーラソーマによって、今まで気づいていなかった自分自身の不自由さから自由になろうとしている。
日本には、私と同じように社会や家族、教育などの環境の中で、長い間に慣れてしまったことで、自分の可能性を、自分自身を、不自由にしていることに気づいていない人たちが、たくさんいる。
その人達のためには、日本の社会や風習などを理解することができる日本人のプラクティショナーが必ず必要になる。
その日本人のプラクティショナーには、日本人のティーチャーが必要になる。
だから私は今ここにいる。」
と話していたのです。

うまく英語で話せたかどうかは、その時の私にとっては重要ではなく、私は、自分が話している言葉、その思いを聞いて、「そういうことなんだ!」と自分自身のことにもかかわらず、やっと気がつきました。
このことが、私にとっての「Responsibility」が現す答えだと思いました。

だからこそ、その時の私の思いは、20年以上経った今までも、一度もぶれたことがありません。

それから何年か後、マイクは「その時の私の言葉を覚えている。」と言っていました。

P.S.(後書き)
10年以上後に、マイクはコースの中で「Responsibility」とは「Response」-「ability」つまり :「反応・応答」する「能力・才能」のことを言う。と何度も話しています。
「なるほど。」と思いつつ、20年以上経った今も、自分自身の答えを私は自分の道の上で、洗練し続けていると思います。

※上部写真は、ここ最近のDev AuraのLiving Roomの写真です。
当時は一人がけではなく長いソファーだったと思います。

To be continued…

日時 : 22:02 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅢ.

2019 年 6 月 11 日


My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅢ.
§ Teacher Training Level 1 ③-Dev Aura§
~なぜ私は今ここにいるのか?~

当時Teacher Training Level 1は6日間のコースでした。
一緒にコースに参加している人たちの中には、このコースの終了後にレベル1コースの開催のプランをしっかりと持っている人達もいました。もちろんそのためのコースですので当然と言えば当然なのですが、何の目的を持たずに参加をしていた私は、その当たり前のことに驚き、「え!そうなの?」と心の中でつぶやいていました。そして、そんな私にも「コースが終わったらすぐに、レベル1を教えるの?」を尋ねられた時には、全く考えもしていなかったので「そのうちね。」と答えることが精一杯でした。

根っからの面倒くさがり屋で、いつも受け身の私の性質からすると、よほどの強い使命感や目的意識が生まれない限りは、行動に繋がらないのです。今までも何かを求められた時、その使命を果たす責任感と情熱は十分持ち合わせていると思いますが、自ら能動的に何かをやり出すことはあまりありませんでした。
社会人になった最初の就職の時からも、アルバイト時代に幸運にもプロモーションの企画などで業績をあげることができ、また、その企業が主催したコンテストに優勝したことなどがきっかけでその企業からのスカウトによって入社し、その後も全て何かに導かれるままでここまで来ました。もちろんその時その時の選択は、自分自身で決断していますが、自分から能動的に手に入れようとしないその性質は、結局今も尚、ずぅっ~と続いています。

以前このブログで紹介しましたが、私の1番目のボトルがB50:エルモリア「神聖なる意志が求めることにYesを言う」であることが、後に明らかになったことで、私のありのままのクオリティーを洗練させていくということが、最も私らしく軽やかに生きていることの鍵になっています。

それはさておき、Chapter ⅩⅩ.に書きましたが、目的もなくただ参加していたこのティーチャーⅠコースで、私はその後のオーラソーマ人生を決めることになった出来事を経験することになりました。

それは、コース中にマイクが私たち参加者に尋ねた一言から始まりました。
それは、
「あなたはなぜ今ここ(Teacher Training Level 1)にいますか?」
と言う問いでした。
そして、この問いに対する自分自身の答えを、参加者一人一人が話していくことになったのです。その日は10人ほどの人が話し、次の日にまた続きの人から話すことになりました。
私は、思わず「ほっ」と胸をなで下ろしました。もし今日私の順番がやって来ていたならば、きっと何も答えられなかったでしょう。

ただ、この問いは、まさに私自身が向き合う必要があることでした。
「私は、なぜ今ここにいるのだろう???」

To be continued…

日時 : 16:58 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅡ.

2019 年 6 月 3 日

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅡ.
§ Teacher Training Level 1 ②-Dev Aura§

Teacher Training Level 1初日の朝は、ジェットラグも有り、あまりぐっすりと寝ることができないまま6時ごろにベッドから起き出しました。夏とはいえイギリスの朝は涼しいというよりも寒く感じました。ルームメイトの二人は、さすがアルプスの麓に住んでいる方達なので、新鮮な空気がお部屋に入ってくるようにと、大きな窓を一晩中少し開けたままにしていたようです。
暫くして2人とも目覚め、キャリーナは、まず外階段の踊り場に出て、小鳥たちに語りかけるように歌を歌い始めました。毎朝の習慣だそうです。アルプスの麓で毎朝小鳥たちに歌いかけているなんて、その様子は、まるで大人になったアルプスの少女ハイジを思い起こさせました。

聞いていたとおりほとんどの参加者がドイツ語圏(ドイツ、スイス、オーストリア、オランダ)からで、その他少数のイタリア、スペイン、ハンガリーなどヨーロッパ諸国からの参加者だったと思います。そして最高年齢の参加者は85歳のアメリカから来られた方でした。その方は、足を悪くされていて杖をついていらっしゃいました。それでもとてもお元気で明るい方でした。
今にして思えば、その時のマイクの年齢は、今の私の年齢よりは遙かに若い47歳でしたので、きっと多くの参加者がマイクより年上だったかもしれません。
日本人は比較的年齢より若く見えるようで、ルームメイト達は、私を娘というよりも孫のようだと、可愛がって世話をしてくれました。

コース中のペアワークやコンサルテーションは、必然的にお互いに言葉が十分に通じないもの同士が組むことになりました。お陰でオーラソーマコンサルテーションの大切な鍵を受け取ることができました。
それは、言葉を超えて相手の内なる声を聴いている感覚でした。そしてクライアントとして話すときも、パートナーは誰もが、言葉を超えて本当にしっかりと受け止めようとしてくれていました。

同じ日本語の場合、毎日の日常の会話では、本来ならしっかりと理解するように聞き取れるはずが、ともすれば、聞いているようで聞いていないことがあるかもしれません。または、自分のフィルターを通して聞いていて、思い込みのようなものが、コミュニケーションの邪魔をしてしまうかもしれません。

プラクティショナーとして聴き取るのは、言葉の奥にあるもの、そしてクライアントは、プラクティショナーの受け止めようとする態度・存在がある故に、自分のために深いところから話すことができるということ。つまりプラクティショナーは、ただそこに寄り添っていることに価値があるということ。

今でも尚、その時経験した感動の感覚を忘れることができません。そして、私のプラクティショナーとしての基盤が、この時から更に益々洗練されてきたように思います。

To be continued…

日時 : 12:07 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅠ.

2019 年 5 月 27 日

Teacher Training Level 1-Dev Aura 

ロンドンのキングスクロス駅から列車で約1時間半のところにグランサムという駅があります。そこがDev Auraに行くための最寄り駅になります。
(現在のキングスクロス駅は新しく改築されましたが、当時の駅は、あの「ハリー・ポッター」シリーズの撮影で使われたことで有名です。)

最寄り駅のグランサム駅は、とても小さな駅でした。改札口とは反対のホームに列車が到着しましたので、スーツケースを持って階段の上り下りをしなければならないと覚悟をした時、私の後ろからイギリス人男性が、「運びましょうか?」と声をかけてくれました。
私は、もちろん「ありがとうございます。お願いします。」を笑顔で即答しました。実は、その後も何回も列車でDev Auraに行きましたが、幸いなことに乗降客があまりいない小さな駅にもかかわらず、いつも誰かイギリス人男性が私のスーツケースを持ってくれましたので、今まで一度も重いスーツケースを持って階段の上り下りをしなくてすみました。
さすが紳士の国だと本当に感動しました。

そういえば、のちに聞いたことがあります。このような状況の場合、日本人は自分の重い荷物を持ってもらうことに遠慮をして「大丈夫です。」と断ってしまう人が多いそうですが、声をかけた方は、他人の荷物を運ぶことを怪しんで断られたと感じてしまう人もいるそうです。もちろん、相手によるかもしれませんので、特にロンドン(都会)などでは気をつけた方がいいかもしれません。

グランサム駅では、Dev Auraからミニバスがお迎えにきました。最寄り駅と言ってもそこからDev Auraまでは車で約40~50分ほど、のんびりとイギリスの美しい田園風景の中を走ります。
グランサム駅でミニバスに十人ほどのドイツ人の方と同乗しました。今回のコースには、ドイツ語のみ通訳が付くと言うことで、ドイツ人の方の中には、少し英語が分かる人やほとんど英語を話すことができない方もいました。Dev Auraまでは長い道のりでしたのでミニバスの中で私の名前と、日本から来たことを、片言のドイツ語で、自己紹介をしました。その後はお決まりの、挨拶やお礼などを日本語でどのように言うかなどを、皆さんから興味深く尋ねられましたのでシェアしました。本当に片言のドイツ語でしたが、何だかとても喜んでくれました。ほとんどの方が私よりずいぶん年齢が上の方のように感じました。

Dev Auraに到着し、私の部屋は2階(イギリスでは1F)階段を上ってすぐ右側の外階段が付いている3人部屋でした。
Dev Auraは現在とは大きく異なり、とてもかわいいコテージのようでした。現在のようにデジカメや、ましてや携帯電話で簡単に写真を撮るような時代ではありませんでしたが、私の記憶には鮮明に残っています。

キッチンの隣には、今と同じリビングが有りましたが、現在のような広いダイニングルームはありませんでした。奥には、広さが現在の半分ぐらいのセミナールームが有り、セミナールームに続く細い廊下の壁に添って長いカウンターテーブルが置かれていました。私たちは皆、横に並んで壁や窓に向かって食事をするようになっていました。
確かその壁には、Dev Auraができる前、森林だった現在の土地をヴィッキーが購入し、開墾中のシャベルや鍬をもったマイク達の写真が貼ってあったように思います。

私は、スイスとオーストリアからの参加者と同室でした。お部屋には、ヴィッキーが使っていたというダブルベッドが置かれていて、他には2段ベッドがありました。2人とも2段ベッドの上に上るのがつらいとのことで、一番若い私が2段ベッドの上を快諾しました。スイス人(マリーア)は英語がとても堪能でした。オーストリア人(キャリーナ)の方は、ほとんど英語が話せないとのことでしたので、マリーアが通訳をしてくれました。二人ともお仕事はすでにリタイアし、マリーアはスイスの教会で子供達のお世話をしていました。キャリーナは、オーストリアのチロル地方でご主人や仲間とアルプスの民族衣装を着て歌やダンスを披露しているとのことでした。

すでにコースが始まる前に、私はあまりにも日常と異なる環境に戸惑いながらも何だか未知なる冒険の旅をしているような気分でした。

To be continued…

日時 : 20:16 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩ.

2019 年 5 月 21 日

暫くぶりにブログを更新します。
2019年マイクの日本ツアーにご参加頂き、Practical Skills for practitioner, Essentials InstructorそしてL2&L3のそれぞれのコースでご一緒頂いた皆さま、ありがとうございました。
たくさんの皆さまとお話をさせて頂き、とても有意義で楽しい時間を過ごすことができました。今回ご参加頂いた皆さまはもとより、今後もできる限りのサポートをさせて頂きます。

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩ.
§ Teacher Training Level 1 §

1997年、初めてTeacher Training Level 1に参加しました。今にして思えば、この時から本当の意味での私のオーラソーマ人生がスタートしたのかもしれません。

Dev Aura(イギリス)でのTeacher Training Level 1開催のお知らせは、私のところにやって来たという様な感覚でした。というのは、その頃の私は、オーラソーマにだんだん惹かれコンサルテーションを行うことにも喜びを感じていましたが、まだまだ独立した仕事としての認識がそれほど強くはありませんでした。

その当時は、私自身のメイクアップスクール以外でも、イメージコンサルタントとして企業から依頼された講演やメイクアップアーティストとして様々なショーでの活動、また更に技術を高めるために研究をしていました。つまり私の仕事としての意識は、オーラソーマよりも今までの仕事の方が、高かったと思います。
私の仕事を通して、私と出会ったことで、自信を取り戻し、輝いていく皆さんのお手伝いをしている喜びにいつも感動していました。驚くことにどんなにうらやましいほどに綺麗なモデルの方でさえ様々なコンプレックスを持っていて、いつもメイクをしながらカウンセリングのようになっていました。私としては、ある程度充実していましたので、オーラソーマはそういった仕事の一環という認識でした。

そんな私のところにTeacher Training Level 1の話がやって来たのです。その時の私の答えは、「別に参加してもいいですよ。」と、まるで他人事のような反応をしていました。
断る理由も、その流れに抵抗する理由もなく、イギリス旅行に行くぐらいの軽い感覚でしたので、それによってオーラソーマティーチャーになるという自覚はほとんどありませんでした。

オーラソーマ自体も、プラクティショナー(という名前すらなく)やティーチャーとしての登録システムもまだありませんでしたので、尚更自覚がなかったのかもしれません。

当時は、現在のブリッジコースをティーチャー1といい、現在のTL1⇒ティーチャー2、TL2⇒ティーチャー3、そして最終のTL3⇒ティーチャー4と言われていましたので、ティーチャー1の次はティーチャー2なんだと思っていただけでした。

そんな軽い気持ちで参加したティーチャーコースが、その後の私の人生を大きく変えることになるとは、私は全く思いも寄りませんでした。

このお話は、また次回以降にさせて頂きます。

To be continued…

日時 : 15:37 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma

2018 年 11 月 5 日

オーラソーマコース中、参加者の皆さんから、私のオーラソーマとの経験を、よく尋ねられます。
オーラソーマとの関わりの中で、もうすぐ25年近くになる今、一度少しずつ書き留めておきたいと思うようになりました。

§オーラソーマとの出会い§

それは、今も私の手元にあるイギリスオーラソーマ社が発行した1冊のパンフレットから始まりました。
その表紙にあったなんとも言えない美しいカラーボトルの写真に、私は目を奪われてしまいました。
これは、いったい何?
当時まだ日本では実際のボトルを目にすることはできず、初めてカラーボトル(イクイリブリアムボトル)を見ることになったのは、レベル1(Foundation)コースに参加することになった時でした。

その頃の私は、独立してイメージ&メイクアップコンサルタントとして、コンサルタント養成スクールを開校していました。
特にお洋服やメイクアップにおいて、その人がその人らしくそして最も美しく輝くことができる色があることが、私の興味を引きました。
特に、ショーなどでモデルの方のメイクをしている時よりも、まだ自分の美しさに気づいていない一般の方へメイクをした時、その方が鏡に写るご自分の顔を見て「きれい!」と喜ぶ姿に私自身も強く喜びを感じ、いつも鳥肌が立つほどの感動の経験をしていました。

イメージ&メイクアップコンサルタントになる以前の私は、企業のサービスにおける人材育成トレーニングやセミナーを開催していました。
そこでは、コミュニケーションの取り方などサービス全般における人々の奥深い心理などについても実践的に経験をしました。

そのどちら仕事も、私にとってはとてもやりがいのあるものでした。
20代、30代半ばまで、「人々が、何にどのように興味を持ち、どのように喜びを感じるのか。」というテーマに対して、私自身がとても興味を持って仕事をしていたように思います。
振り返ってみると、自分自身の仕事の選択において、今に至る共通のものが見えてきます。
*人々の成長のサポート→コミュニケーション→色→その人が持つその人らしい最高の状態で輝く。

そしてこのような私のところにやってきたのが、オーラソーマでした。

To be continued…

日時 : 15:33 パーマリンク コメント (0)

オーラソーマ システム創始者 Vicky Wall 生誕100年祭

2018 年 8 月 20 日

オーラソーマ システム創始者 Vicky Wall 生誕100年祭

イギリス テッドフォートにあるオーラソーマの500エーカー(東京ドーム43個分)の広大なシャイアファームにて、ヴィッキー・ウォール(オーラソーマ創始者)生誕100年祭が開催されました。

限られた宿泊施設の中で、約110名の人たちが世界各国から参加しました。

1週間前の天気予報によると雨の予定でしたが、実際には心地のよい、そよ風が吹く晴天に恵まれ、青い空に緑の草原と白いテントの会場がとても映えていました。

「自分自身を思い出したい人はいらっしゃい。」というヴィッキーの思いが、遠く離れた東の端の日本という国で、(イギリスの世界地図には、日本は左の端の方に位置しています。)世界のどの国よりも多くの人に届いているとは、きっとさすがのヴィッキーも驚いているでしょう。

それはオーラソーマが、日本人のそれぞれの人の内にある大切なものに優しく触れることができるシステムだからなのかもしれません。

今回のイベントは、私が想像していた以上にとても素敵な体験でした。日本から参加した皆さんともいろいろお話しができ、楽しい時間をありがとうございました。

また、各国から参加していた古くからの友人たちにも会え、20年以上前に初めてこの地にやって来た時から現在までの間に発展と進化をしてきた様々なものに、これからのオーラソーマシステムと共に私たち一人ひとりの未来への進化を感じました。

Peace Love & Light

Tamaki

日時 : 15:44 パーマリンク コメント (0)