Over the Rainbow 〜7色の架け橋〜

立和田 環(Tamaki Tachiwada)

株式会社ヒューマンクリエイティブアカデミー代表
外資系企業においてマーケティングコンサルタントを経験後、イメージコンサルタントとして活動。『人と色』との関わりを数年にわたって探求し、『オーラソーマ』と出会う。
その後、イギリスオーラソーマアカデミー公認講師として10年以上に渉り全国のオーラソーマ・プラクティショナー(開業セラピスト)の育成に携わり、現在は、マイク・ブース学長の代理として、日本におけるオーラソーマ・ティーチャートレーニングLevel 1コースを教える講師でもある。
また、アメリカにて『神経言語プログラミング(NLP)』トレーナーの資格取得。

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My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅧ.

2019 年 7 月 16 日


My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅧ.
§ 初めてのLevel 1コースに繋がるまで ③ §

以前ブログにも書きましたが、日頃は、のんびりとした性格で、面倒なことはすぐ先延ばしにしてしまい、期限があるとやっとエンジンが掛かるという子供の頃からの習性があり、それでもラストスパートの集中力で、今まで問題なくクリアをしてきたため、「いつもいざとなれば、どうにかなる。」という、一見余裕のようにも聞こえますが、結局は、自分自身へ言い訳をして、実際は、自分の為の、そして期限がないものに対して、逃げていたのかもしれません。

つまり、私がオーラソーマティーチャーとしてスタートすることができたのは、私にとってこの最も私を制限していたものから出ざるを得なかったことにあるかもしれません。

まず最大のポイントは、「私を招待してくれたオーガナイザーの方が、私に期限を決めてくれたこと。」でした。しかもその期限は、私のためのものではなかったことです。誰が私を必要としている。しかもそれは、私がやる必要のあること。
この2つの条件が揃うと、「私は自分の責任を、自分のベストを尽くして、最大限に果たしたくなる。」そして、私の中のスイッチが一旦「ON」になると、かなりの集中力が出るようです。しかも、そのハードルが高ければ、高いほどチャレンジしてみなくなるようです。

当時、このレベル1コースに挑戦することは、私にとってはまだ十分確立されていない未知のものへの挑戦のように思いました。もちろん何度か再受講をしていましたので、大筋のことは理解していたと思います。ただオーラソーマシステムで使用されている言葉のニュアンスが、日常で一般的に使用されていない言葉であったことから、日本語で自分の理解を説明することは、ある意味ではティーチャーの説明次第という、責任重大な役割のようにも思えました。

そしてそのことだけでなく、私には何よりも絶対に乗り越えなければならない最大の挑戦がありました。それは、2017年(Beyond Colourアップデート)以降には廃止になりましたが、「論文:レベル4ワーク」と言われていた10の設問(15,000字~20,000字日本語)と自由研究(15,000字)に合格する必要がありました。当時はティーチャーレベル1コースに、参加することは容易でしたが、レベル1を開催するためには、ティーチャーとしてのディプロマの取得が必須でした。これこそ、もし期限がなかったら自分の意思で自分のためには、永遠に修了しなかったかもしれません。(笑)
レベル1の日程が決まっていると言うことは、必然的にそれまでに、レベル4ワークに合格する必要がありました。

私は、書店に行き、関係がありそうな本を十数冊購入し、私のデスクの上に並べました。そして1日最低1設問を完成させることを決め、取り組みました。その当時のことは今でも鮮明に記憶に残っています。
まず十数冊の本の全てを読む時間は到底ないと思い、(本来ならば全て読むといいと思いますが)設問に関わっているだろう本を手に取り、目次を探し、その項目の部分を読む。それで十分でない場合は、その前後の章を読む、という進め方をしていましたが、1つの設問に対して数冊の本が、関わっている場合も有り、なかなかその方法でも時間が掛かりました。
ただ、その経験の中で、人間が本気で集中したときには、想像も及ばない能力を発揮することができることを発見しました。それは、目次を探す時間もなくなったと感じた私は、まず、自分の直感で本を取り、そしてその本を開く、そうすると私が開いたページにまさにその設問に関連する内容が書かれている。それが何度も繰り返されると、別の意味で面白くなり、後半は全てこの方法で関連項目を見つけていくことによって、予定通り10日間で完成させることができました。
もう一つの自由研究は、「数秘学による人間の資質と潜在的可能性」にしました。
私は、中学・高校まで数学の先生になろうと思っていたくらい、数字のクリエイティブさが大好きで、私にとって、数学問題を解くことは、まるで推理小説の謎を解くことのように楽しいことでした。
この自由研究を4日間でまとめ、予定通りディプロマを取得し、レベル1までに無事に間に合いました。

その頃、私が何をやっているかを知らなかった主人は、後になって、「私のこと見ていて、あまりにもすごい集中力で何かに取り組んでいたので、声を掛けることができなかった。」と言って笑っていました。

生ぬるい私にとっては、限界を超えるほどハードな短期間でのレベル4ワークと自由研究に挑戦したことによって、「やればできる。」という自信も増し、またオーラソーマシステムを多角的に見ることもできました。特に、公的に一般の方への講演の依頼が来たときなどに、オーラソーマシステムへの導入の為の説明に対して、とても役に立っています。

これも、私に最初にオーラソーマコースを開催するチャンスを下さったオーガナイザーの方のお陰です。20年以上経った今も心から感謝しています。

To be continued…

日時 : 15:30 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅦ.

2019 年 7 月 8 日


My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅦ.
§ 初めてのLevel 1コースに繋がるまで ② §

Dev Auraにてティーチャーコースに参加している時は、ただそこにいてマイクの言葉を全体的なものとして捉えている感覚でした。自分のためのみの参加の場合は、それで良かったのだと思いますが、ティーチングとなると、細かいところまでの確認が必要だと思いました。
その時まさにタイミング良く、海外のティーチャーが来日し、レベル1の開催がありましたので早速そのコースに改めて再受講することにしました。

そこでは、知識などでは学ぶことができない重要なそしてかなり衝撃的な経験と向き合うことになりました。それは、そのタイミングでティーチャーになろうとしていた私にとって、後に最高のギフトを開くことになる経験でした。
そしてまさにその時、私はその何年か後に私の一番目のボトルであることが明らかになるB50:エルモリアPale Blue/Pale Blueのボトルを使っている最中でした。
当時は、エルモリアが私の一番目のボトルをという認識ではまだありませんでしたが、後に一番目のボトルを使うことは、「人生のレッスン・使命と目的」つまり「何のために生まれて、そしてそれをどのように生きていこうとしているのか。」が明らかになっていく可能性がある。ということが、その時の経験から今ではとても腑に落ちています。

レベル1コースの再受講後、まだまだ不確かなことがたくさんありましたので、英語版のティーチャーノートを、辞書を片手に読み込みました。幸いなことに、ティーチャーノートがまだ日本語になっていなかったことで、知識として覚えただけでは、自分の生きた言葉(オーラソーマ的に言うと、内なる星・スターからの言葉)にならないということにも気づきました。

そして、すらすらと英語が十分理解できない状況だったお陰で、英語の感覚と日本語にしたときの微妙な感覚の違い、私たち日本人としての背景など、同じ英単語でも幾つもの日本語の解釈ができること、またその日本語自体についても受け取り方、日本語で有りながら、今までその言葉の日本語としての理解が、人によって様々異なるなど、これは、本当に微妙な理解のすり合わせが必要だと、痛切に感じました。
そのための一つ一つの確認作業は、とても時間が掛かり確かに大変でしたが、その後日本語訳された各コースワークブックができたときに、そこに書かれている言葉の誤訳などが、日本語訳を読むだけで気づけるまで、深く理解できるようになっていました。

またこの流れでのその後のティーチング経験により、コミュニケーションの基本原理の一つとして、『同じ言葉を聞いても聞く人によって7通りの捉え方がある。言い換えれば、そこに7人いれば同じ話でも、それぞれの人がそれぞれの人の理解で聞いている。』という発見にも繋がり、今の私に、どのようなコミュニケーションの場所においても、非常に役に立っています。

そして、何よりも私にとって幸いだったことは、全てのボトルの意味やボトルの名前などが書かれた本(テキストも含む)がまだない時代であったことが、オーラソーマ哲学の最も基本原理である「答えはクライアント自身の中にある」ということを、レベル1から参加者に伝えていけたことだと思います。

もちろん、これは知識や情報が全く必要ないということではなく、ボトルの意味を暗記することよりももっと大切なことがあること。外側の情報に囚われてしまうことによって、自分の内側に対する信頼から離れてしまい易くなるということ。
もしかすると「自分の内側に対する信頼を持つことができない」と思い込んでいる場合、気づかないうちに、それを埋めようとして、外側の知識や情報の方が、自分自身よりも「正しい答え」と思ってしまうということになるのかもしれません。
これは、オーラソーマだけのことではなく、現在のような情報過多、そして情報のスピードが速すぎる現代を生きている私たち全ての人々にとって、大切なことかもしれません。

時間を掛けてゆっくりと徐々に自分の内側にあるものに対しての信頼を高めていくことが、今現在、そしてこれからを少しでも生きやすくしてくことに繋がっていると思います。

私は、今までの経験から、そのための非常に有益なツールの一つが、オーラソーマシステムだと思っています。
「あなた自身を思い出したいと思う人は、私のところにいらっしゃい。」(ヴィッキー・ウォール:オーラソーマシステム創始者)

※追記:
上部写真は、一番初期のTeacher’s Notes とレベル1ファンデーションコースワークブック(日本語版)です。
最初の(日本語版)ワークブックには、ボトルに関する情報として、ボトルのナンバーとボトルの色、簡単なキーワードのみが書かれていました。B0~B30までのボトルのみに、ボトルの名前らしきものと補足説明が、書かれていました。このことが幸いし、当時はボトルについての情報を暗記するという発想にはならなかったのかもしれません。

To be continued…

日時 : 16:57 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅥ.

2019 年 7 月 2 日


My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅥ.
§ 初めてのLevel 1コースに繋がるまで ①§

Teacher Training Level 1が終了し、今まで通りイメージコンサルタント及びメイクアップアーティストとして、またそれぞれのプロフェッショナルの養成コースなども開催していました。
と同時に、口コミなどのお陰で、オーラソーマコンサルテーションを続けて行なっていました。まだ、自分自身でオーラソーマコースを開催するというプランは、その時は相変わらず具体的なものはありませんでしたが、ただコンサルテーションが何よりも重要で、基本だと思っていました。

そのような状態の中で、海外のティーチャーがオーラソーマコースを教えるために来日した際には、レベル1やレベル2を再受講したりしていました。

そんな折り、Dev Auraでブリッジコースの開催が有り、私は日本からの参加者のサポートとして参加することになりました。そのブリッジコースに参加していたお一人が、私の名前を見た瞬間に、その方曰く、「立和田 環」と言う名前に、まだ私とは会っていないにもかかわらず、何か強い閃きがあったそうで、ブリッジコースを修了したら、自分でオーラソーマコースをオーガナイズし、私をティーチャーとして招きたいと、思いついたそうです。
そして思いがけずDev Auraで私に出会い、「これは間違いない」と、思われたそうで、出会った瞬間に、「参加者を集めるのでコースを教えに来て下さい。」と申し込まれました。
あまりにも突然のことで、また私は、いつものように「そのうち機会があれば。」とお返事しました。
そして、ブリッジコースが終わりお別れの際に、もう一度頼まれた時にも「そのうちタイミングが合えばね。」と言葉を濁してお返事しました。

ところがそれからわずか数日後、その方からお電話があり、「3ヶ月後の○月○日~○日までの6日間、スケジュールを空けて頂くことはできますか?」と言われ、確かに3ヶ月先の日程でしたので、スケジュール的にはその週にはまだ仕事の予定が入っていませんでしたが、その前に、本当に連絡が来たことに驚きました。そして私の心の準備が整っていませんでしたので、お断りをしようかと相変わらず言葉を濁していたときに、「実は、すでに会場を予約し、新聞に生徒募集の記事を載せる契約をしてきました。」と言われました。そしてその記事に、講師として私の名前を掲載したとのことでした。
ここまで段取りを整えて下さったことに対して、本当に有り難いと心から感謝しました。そしてさすがに、ここでお断りをするわけにはいかない。と覚悟を決めお引き受けしました。

私は、今までも何かを決めるまでは結構面倒ですぐ先延ばしにしてしまい、なかなかスタートができませんが、ただ一旦やると決めると、その後は何があっても全く迷わずに、我ながらかなりの集中力がでます。
今までも、そのようにしてうまく乗り越えてくることができたので、良くも悪くもいつも心の中で、『やるべきことをやっていれば、必ずなんとかなる』と、ある意味で楽天的なところがあります。

そこから、初めてのレベル1コース開催に向けて自分自身の準備を始めました。

今、こうやって改めて自分自身について振り返っていると、今更ながらに有ることに気づきました。
どうやら、私は自分のための目標に対しては、面倒くささが出て、あまり夢とか目標とか持つことにすらエンジンが掛からない。でも、確かに、誰かに期待をされるといつも全力でそのことを成し遂げる。私が力を尽くすことで、誰かが喜ぶことが、私の喜びなのでしょう。

子供の頃に、母に言われてたことをふと思い出しました。「環は、お父さんに似て、誰かの為に一生懸命になることはとてもいいところなんだけど、お父さんは人が良すぎて利用されてばかりだから環も大人になったら気をつけなさい。」確かに、父は本当に無欲な人です。でもそのことに対する不満や愚痴は、聞いたことはありません。
そういえば、主人もその点では、父と同様、人のために全力を尽くし、自分のためには、本当に無欲な人です。

〈余談ですが、主人とは最初がプロポーズでした。その時、主人のことをあまりよく知らなかったので、どのような考え方を持っている人なのかを知るために、いくつかの質問をしました。その中で、「あなたの将来の夢は何ですか?」と聞くと、驚いた顔をして、「夢?」「そんなこと、今まで考えたことがないかなあ。」このやり取りは、私が21歳、主人は24歳でした。きっと今聞いても同じことを言うと思います。(笑)〉
〈あっ! 今思い出しました。7月1日は、私たちの36回目の結婚記念日でした!!もう過ぎている(^_^;) こうやってほぼ毎年忘れている(*^_^*)〉

To be continued…

日時 : 14:12 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅤ.

2019 年 6 月 24 日


My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅤ.
§ Teacher Training Level 1 ⑤-Dev Aura§
~なぜ私は今ここにいるのか?~

Teacher Training Level 1 の間に、私はもう一つの大切な確信を得ました。

以前のブログにも書きましたが、一緒にコースに参加していた皆さんの内の何人かの方が、今までの仕事をリタイア(定年退職)して参加されていて、これからの人生は、自分の生きがいになるようなことで、世の中に貢献したい。ということを言っていました。
とても素敵に年齢を重ねられていることが、お顔の表情や姿形から溢れていらっしゃいました。

この仕事は、もちろん年齢制限はなく、それどころか年を取れば取るほど、様々な経験から人生の深みが増し、更に洗練されていく可能性がある仕事だと思いました。

時々コースなどで、冗談で笑い話のように言うのですが、
「座って行なうこの仕事は、たとえ年を重ね体が不自由なったとしても、もしかしたら生きている限りは、自分がそうしたければ、現役で続けられるかもしれない。」
ちょっとオーバーに聞こえるかもしれませんが、実は本当にそう思ったのです。
その時、私の人生の目標が見えてきました。「そうだ! いつも笑顔の可愛いおばあちゃんになろう!」
その後も将来の目標や夢を聞かれる度に、いつもそう言ってきました。

その時、ある光景を思い出しました。
ある年の敬老の日、100歳のおじいさんに、TVでのインタビューがありました。その方は毎朝早くに畑に出て、そこで採れた野菜を、近所の人たちに配っていました。そのおじいさんの笑顔と近所の方々との交流を見たインタビューアーが、おじいさんに尋ねました。
「お元気ですね。何歳まで働かれるつもりですか?」
その質問に対して、「体が動くまでずっとはたらくつもりだよ。」「はらたくというのは、はた(傍)が、らく(楽)になるためにすることなんだよ。」とおじいさんは満面の笑顔で言いました。
その時のおじいさんの笑顔とその言葉に、「こんな素敵に年を取りたい。」と、私は本当に感動しました。そしてその時、私ながらに、ふと気がつきました。そういえば、「働く」という漢字も「人」が「動く」と書く。
物質的であれ、肉体的であれ、感情的であれ、心理的であれ、精神的であれ、あらゆる分野で「周りの人(たった一人の目の前の人)が楽になる」そのことに携われたら、きっと本当に充実した生き方になるかもしれない。

そして、そこから20年以上の月日が流れ、私も世の中的に、おばあちゃんと言われる年齢になりました。そして分かってきたことは、オーラソーマで言う一番目のボトルの現す「使命・目的」を生きることは、自分自身である色を思い出していく、明らかにしていくプロセスであり、その色である自分自身を生きていくということ。
そのことが、実は社会に向けて、一緒にいる周りの人に向けて、そして目の前の誰かに向けて、もしかしたら自分が気づかないうちに、自然に何かの役に立っているかもしれない。
でも、そのことには意図的にならないでいたいと思います。

※上部写真は、ここ最近のDev AuraのBack Garden「Memorial Garden for Vicky Wall」にある、ヴィッキーの「Go Hug a Tree」の木の写真です。TL1当時から比べると、ずいぶん大きな木になりました。20年以上の時の流れを感じます。

To be continued…

日時 : 16:18 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅣ.

2019 年 6 月 17 日


My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅣ.
§ Teacher Training Level 1 ④-Dev Aura§
~なぜ私は今ここにいるのか?~

「あなたはなぜ今ここ(Teacher Training Level 1)にいますか?」
このマイクからの問いかけに対して
「私は、なぜ今ここにいるのだろう???」と自分自身に問いかけました。
しかし答えは出ず、その日の夜もまたよく眠れないまま次の日の朝を迎えました。ベッドの中で時計を見ると、丁度5時でした。外はほんのり薄明るくなっていました。ルームメイトを起こさないようそっと部屋を出て、下のダイニングルームへ静かに降りて行きました。
誰もいないダイニングルームは、静寂そのものでした。私は、ソファーに腰を下ろし、何をするわけでもなく、静かにただそこにいました。暫くして私はソファーの横の小さなサイドテーブルの上に、小さなグラスに入ったエンジェルカードに気づき、おもむろに1枚カードを選びました。そのカードには「Responsibility」と書かれていました。さして気にとめることもなく元あったグラスの中に戻しました。
その日も私の順番にはなりませんでした。

次の日の朝、目覚めると時計はまた5時丁度でした。昨日も今日もアラームによって目が覚めたのではなく、なぜか同じ時間に自然に目覚めたのです。
私は昨日と同じようにダイニングルームへ行き、ほんの暫くぼぅっ~とし、することがないのでまたエンジェルカードを選びました。そのカードは、またもや「Responsibility」でした。「?!」この偶然に少し驚きました。でもすぐに「まあ。そういうこともあるだろう。」と気にもとめずにその日を過ごしました。
その日は、明日はいよいよ間違いなく私の番が来るというところで終わりました。それでも私の中には、何の答えも見つからないままでした。

3日目の朝、やはり5時丁度に目が覚めました。また同じようにダイニングルームへ行き、ソファーに腰を下ろし、ふと、そういえば、2日間続けて同じカードを選んだことを思い出し、今度は、もっとしっかりシャッフルしました。何か今日発表するヒントが欲しいと思い、普段の私らしくなく藁をも掴む思いでした。
そしてカードを見て「えっ!」思わず声を出しました。そこに書いてあったのは紛れもなく「Responsibility」でした。

さすがの私も、3日間続けて選んだ「Responsibility:責任、するべきこと、職務、任務・・・???」英語の意味を知っていたとしても、これは一体私にとってどのような意味があるのだろう?
考えていてもその答えは出ず、気分転換にDev Auraを出て、朝の爽やかな、清々しい空気の中で散歩に出かけました。

そして、コースが始まりいよいよ私の番が来ました。
驚くことに私は話し始めたのです。十分とは言えない英語で。
「私は、オーラソーマによって、今まで気づいていなかった自分自身の不自由さから自由になろうとしている。
日本には、私と同じように社会や家族、教育などの環境の中で、長い間に慣れてしまったことで、自分の可能性を、自分自身を、不自由にしていることに気づいていない人たちが、たくさんいる。
その人達のためには、日本の社会や風習などを理解することができる日本人のプラクティショナーが必ず必要になる。
その日本人のプラクティショナーには、日本人のティーチャーが必要になる。
だから私は今ここにいる。」
と話していたのです。

うまく英語で話せたかどうかは、その時の私にとっては重要ではなく、私は、自分が話している言葉、その思いを聞いて、「そういうことなんだ!」と自分自身のことにもかかわらず、やっと気がつきました。
このことが、私にとっての「Responsibility」が現す答えだと思いました。

だからこそ、その時の私の思いは、20年以上経った今までも、一度もぶれたことがありません。

それから何年か後、マイクは「その時の私の言葉を覚えている。」と言っていました。

P.S.(後書き)
10年以上後に、マイクはコースの中で「Responsibility」とは「Response」-「ability」つまり :「反応・応答」する「能力・才能」のことを言う。と何度も話しています。
「なるほど。」と思いつつ、20年以上経った今も、自分自身の答えを私は自分の道の上で、洗練し続けていると思います。

※上部写真は、ここ最近のDev AuraのLiving Roomの写真です。
当時は一人がけではなく長いソファーだったと思います。

To be continued…

日時 : 22:02 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅢ.

2019 年 6 月 11 日


My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅢ.
§ Teacher Training Level 1 ③-Dev Aura§
~なぜ私は今ここにいるのか?~

当時Teacher Training Level 1は6日間のコースでした。
一緒にコースに参加している人たちの中には、このコースの終了後にレベル1コースの開催のプランをしっかりと持っている人達もいました。もちろんそのためのコースですので当然と言えば当然なのですが、何の目的を持たずに参加をしていた私は、その当たり前のことに驚き、「え!そうなの?」と心の中でつぶやいていました。そして、そんな私にも「コースが終わったらすぐに、レベル1を教えるの?」を尋ねられた時には、全く考えもしていなかったので「そのうちね。」と答えることが精一杯でした。

根っからの面倒くさがり屋で、いつも受け身の私の性質からすると、よほどの強い使命感や目的意識が生まれない限りは、行動に繋がらないのです。今までも何かを求められた時、その使命を果たす責任感と情熱は十分持ち合わせていると思いますが、自ら能動的に何かをやり出すことはあまりありませんでした。
社会人になった最初の就職の時からも、アルバイト時代に幸運にもプロモーションの企画などで業績をあげることができ、また、その企業が主催したコンテストに優勝したことなどがきっかけでその企業からのスカウトによって入社し、その後も全て何かに導かれるままでここまで来ました。もちろんその時その時の選択は、自分自身で決断していますが、自分から能動的に手に入れようとしないその性質は、結局今も尚、ずぅっ~と続いています。

以前このブログで紹介しましたが、私の1番目のボトルがB50:エルモリア「神聖なる意志が求めることにYesを言う」であることが、後に明らかになったことで、私のありのままのクオリティーを洗練させていくということが、最も私らしく軽やかに生きていることの鍵になっています。

それはさておき、Chapter ⅩⅩ.に書きましたが、目的もなくただ参加していたこのティーチャーⅠコースで、私はその後のオーラソーマ人生を決めることになった出来事を経験することになりました。

それは、コース中にマイクが私たち参加者に尋ねた一言から始まりました。
それは、
「あなたはなぜ今ここ(Teacher Training Level 1)にいますか?」
と言う問いでした。
そして、この問いに対する自分自身の答えを、参加者一人一人が話していくことになったのです。その日は10人ほどの人が話し、次の日にまた続きの人から話すことになりました。
私は、思わず「ほっ」と胸をなで下ろしました。もし今日私の順番がやって来ていたならば、きっと何も答えられなかったでしょう。

ただ、この問いは、まさに私自身が向き合う必要があることでした。
「私は、なぜ今ここにいるのだろう???」

To be continued…

日時 : 16:58 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅡ.

2019 年 6 月 3 日

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅡ.
§ Teacher Training Level 1 ②-Dev Aura§

Teacher Training Level 1初日の朝は、ジェットラグも有り、あまりぐっすりと寝ることができないまま6時ごろにベッドから起き出しました。夏とはいえイギリスの朝は涼しいというよりも寒く感じました。ルームメイトの二人は、さすがアルプスの麓に住んでいる方達なので、新鮮な空気がお部屋に入ってくるようにと、大きな窓を一晩中少し開けたままにしていたようです。
暫くして2人とも目覚め、キャリーナは、まず外階段の踊り場に出て、小鳥たちに語りかけるように歌を歌い始めました。毎朝の習慣だそうです。アルプスの麓で毎朝小鳥たちに歌いかけているなんて、その様子は、まるで大人になったアルプスの少女ハイジを思い起こさせました。

聞いていたとおりほとんどの参加者がドイツ語圏(ドイツ、スイス、オーストリア、オランダ)からで、その他少数のイタリア、スペイン、ハンガリーなどヨーロッパ諸国からの参加者だったと思います。そして最高年齢の参加者は85歳のアメリカから来られた方でした。その方は、足を悪くされていて杖をついていらっしゃいました。それでもとてもお元気で明るい方でした。
今にして思えば、その時のマイクの年齢は、今の私の年齢よりは遙かに若い47歳でしたので、きっと多くの参加者がマイクより年上だったかもしれません。
日本人は比較的年齢より若く見えるようで、ルームメイト達は、私を娘というよりも孫のようだと、可愛がって世話をしてくれました。

コース中のペアワークやコンサルテーションは、必然的にお互いに言葉が十分に通じないもの同士が組むことになりました。お陰でオーラソーマコンサルテーションの大切な鍵を受け取ることができました。
それは、言葉を超えて相手の内なる声を聴いている感覚でした。そしてクライアントとして話すときも、パートナーは誰もが、言葉を超えて本当にしっかりと受け止めようとしてくれていました。

同じ日本語の場合、毎日の日常の会話では、本来ならしっかりと理解するように聞き取れるはずが、ともすれば、聞いているようで聞いていないことがあるかもしれません。または、自分のフィルターを通して聞いていて、思い込みのようなものが、コミュニケーションの邪魔をしてしまうかもしれません。

プラクティショナーとして聴き取るのは、言葉の奥にあるもの、そしてクライアントは、プラクティショナーの受け止めようとする態度・存在がある故に、自分のために深いところから話すことができるということ。つまりプラクティショナーは、ただそこに寄り添っていることに価値があるということ。

今でも尚、その時経験した感動の感覚を忘れることができません。そして、私のプラクティショナーとしての基盤が、この時から更に益々洗練されてきたように思います。

To be continued…

日時 : 12:07 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩⅠ.

2019 年 5 月 27 日

Teacher Training Level 1-Dev Aura 

ロンドンのキングスクロス駅から列車で約1時間半のところにグランサムという駅があります。そこがDev Auraに行くための最寄り駅になります。
(現在のキングスクロス駅は新しく改築されましたが、当時の駅は、あの「ハリー・ポッター」シリーズの撮影で使われたことで有名です。)

最寄り駅のグランサム駅は、とても小さな駅でした。改札口とは反対のホームに列車が到着しましたので、スーツケースを持って階段の上り下りをしなければならないと覚悟をした時、私の後ろからイギリス人男性が、「運びましょうか?」と声をかけてくれました。
私は、もちろん「ありがとうございます。お願いします。」を笑顔で即答しました。実は、その後も何回も列車でDev Auraに行きましたが、幸いなことに乗降客があまりいない小さな駅にもかかわらず、いつも誰かイギリス人男性が私のスーツケースを持ってくれましたので、今まで一度も重いスーツケースを持って階段の上り下りをしなくてすみました。
さすが紳士の国だと本当に感動しました。

そういえば、のちに聞いたことがあります。このような状況の場合、日本人は自分の重い荷物を持ってもらうことに遠慮をして「大丈夫です。」と断ってしまう人が多いそうですが、声をかけた方は、他人の荷物を運ぶことを怪しんで断られたと感じてしまう人もいるそうです。もちろん、相手によるかもしれませんので、特にロンドン(都会)などでは気をつけた方がいいかもしれません。

グランサム駅では、Dev Auraからミニバスがお迎えにきました。最寄り駅と言ってもそこからDev Auraまでは車で約40~50分ほど、のんびりとイギリスの美しい田園風景の中を走ります。
グランサム駅でミニバスに十人ほどのドイツ人の方と同乗しました。今回のコースには、ドイツ語のみ通訳が付くと言うことで、ドイツ人の方の中には、少し英語が分かる人やほとんど英語を話すことができない方もいました。Dev Auraまでは長い道のりでしたのでミニバスの中で私の名前と、日本から来たことを、片言のドイツ語で、自己紹介をしました。その後はお決まりの、挨拶やお礼などを日本語でどのように言うかなどを、皆さんから興味深く尋ねられましたのでシェアしました。本当に片言のドイツ語でしたが、何だかとても喜んでくれました。ほとんどの方が私よりずいぶん年齢が上の方のように感じました。

Dev Auraに到着し、私の部屋は2階(イギリスでは1F)階段を上ってすぐ右側の外階段が付いている3人部屋でした。
Dev Auraは現在とは大きく異なり、とてもかわいいコテージのようでした。現在のようにデジカメや、ましてや携帯電話で簡単に写真を撮るような時代ではありませんでしたが、私の記憶には鮮明に残っています。

キッチンの隣には、今と同じリビングが有りましたが、現在のような広いダイニングルームはありませんでした。奥には、広さが現在の半分ぐらいのセミナールームが有り、セミナールームに続く細い廊下の壁に添って長いカウンターテーブルが置かれていました。私たちは皆、横に並んで壁や窓に向かって食事をするようになっていました。
確かその壁には、Dev Auraができる前、森林だった現在の土地をヴィッキーが購入し、開墾中のシャベルや鍬をもったマイク達の写真が貼ってあったように思います。

私は、スイスとオーストリアからの参加者と同室でした。お部屋には、ヴィッキーが使っていたというダブルベッドが置かれていて、他には2段ベッドがありました。2人とも2段ベッドの上に上るのがつらいとのことで、一番若い私が2段ベッドの上を快諾しました。スイス人(マリーア)は英語がとても堪能でした。オーストリア人(キャリーナ)の方は、ほとんど英語が話せないとのことでしたので、マリーアが通訳をしてくれました。二人ともお仕事はすでにリタイアし、マリーアはスイスの教会で子供達のお世話をしていました。キャリーナは、オーストリアのチロル地方でご主人や仲間とアルプスの民族衣装を着て歌やダンスを披露しているとのことでした。

すでにコースが始まる前に、私はあまりにも日常と異なる環境に戸惑いながらも何だか未知なる冒険の旅をしているような気分でした。

To be continued…

日時 : 20:16 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩ.

2019 年 5 月 21 日

暫くぶりにブログを更新します。
2019年マイクの日本ツアーにご参加頂き、Practical Skills for practitioner, Essentials InstructorそしてL2&L3のそれぞれのコースでご一緒頂いた皆さま、ありがとうございました。
たくさんの皆さまとお話をさせて頂き、とても有意義で楽しい時間を過ごすことができました。今回ご参加頂いた皆さまはもとより、今後もできる限りのサポートをさせて頂きます。

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅩ.
§ Teacher Training Level 1 §

1997年、初めてTeacher Training Level 1に参加しました。今にして思えば、この時から本当の意味での私のオーラソーマ人生がスタートしたのかもしれません。

Dev Aura(イギリス)でのTeacher Training Level 1開催のお知らせは、私のところにやって来たという様な感覚でした。というのは、その頃の私は、オーラソーマにだんだん惹かれコンサルテーションを行うことにも喜びを感じていましたが、まだまだ独立した仕事としての認識がそれほど強くはありませんでした。

その当時は、私自身のメイクアップスクール以外でも、イメージコンサルタントとして企業から依頼された講演やメイクアップアーティストとして様々なショーでの活動、また更に技術を高めるために研究をしていました。つまり私の仕事としての意識は、オーラソーマよりも今までの仕事の方が、高かったと思います。
私の仕事を通して、私と出会ったことで、自信を取り戻し、輝いていく皆さんのお手伝いをしている喜びにいつも感動していました。驚くことにどんなにうらやましいほどに綺麗なモデルの方でさえ様々なコンプレックスを持っていて、いつもメイクをしながらカウンセリングのようになっていました。私としては、ある程度充実していましたので、オーラソーマはそういった仕事の一環という認識でした。

そんな私のところにTeacher Training Level 1の話がやって来たのです。その時の私の答えは、「別に参加してもいいですよ。」と、まるで他人事のような反応をしていました。
断る理由も、その流れに抵抗する理由もなく、イギリス旅行に行くぐらいの軽い感覚でしたので、それによってオーラソーマティーチャーになるという自覚はほとんどありませんでした。

オーラソーマ自体も、プラクティショナー(という名前すらなく)やティーチャーとしての登録システムもまだありませんでしたので、尚更自覚がなかったのかもしれません。

当時は、現在のブリッジコースをティーチャー1といい、現在のTL1⇒ティーチャー2、TL2⇒ティーチャー3、そして最終のTL3⇒ティーチャー4と言われていましたので、ティーチャー1の次はティーチャー2なんだと思っていただけでした。

そんな軽い気持ちで参加したティーチャーコースが、その後の私の人生を大きく変えることになるとは、私は全く思いも寄りませんでした。

このお話は、また次回以降にさせて頂きます。

To be continued…

日時 : 15:37 パーマリンク コメント (0)

My history with Aura-Soma:Chapter ⅩⅨ.

2019 年 4 月 22 日


§ オーラソーマコンサルテーションを始めた時 ②§

以前にも書きましたが、私がコンサルテーションを始めた頃は、日本にはティーチャーが一人も存在せず、ワークブック(テキスト)もなく、ボトルについての情報というものがほとんどありませんでした。
寧ろ私にとっては、まさにそのことが幸いしました。

何度かコンサルテーションを行っている内に、同じボトル、同じ色を選ぶ人たちに共通点があることに気づきました。また日本という社会性、教育、環境の中での共通の条件付けのようなものにも気がつきました。それはまた私自身の中にあるものでもありました。

このようにして、コンサルテーションを行うことによって、クライアントの方から多くのことを学ぶことができました。つまり私のティーチャーは、クライアントの皆さんでした。
それは、ボトルについてだけではなく、私自身についても同様です。

そしてコンサルテーションを始めた頃から、私にとっては、「こんなに有り難いお仕事はない」ということに気がつきました。

ほとんどのお仕事の場合、お金を頂くときは、お金を受け取る側がお礼を言います。ですが、このお仕事は、たくさんの「ありがとう。」の言葉受け取り、更に自分自身の成長につながり、そしてお金まで頂けるお仕事。そしてこれらと同時にクライアントの皆さんの笑顔と幸せのエネルギーのお裾分けを頂ける。
だからこそ、私も感謝と共に、全てのコンサルテーションに対して、誠実に向き合い最善を尽そうとうと思いました。
オーラソーマティーチャーとしても、コンサルテーションは最も大切なお仕事の一つであることは言うまでもありません。

これらのことに気づいたときに、子供の頃に祖母に言われた言葉を思い出しました。
祖母は、25歳の時に列車の脱線事故で突然夫(私の祖父)を失い、2歳(母)と生まれたばかりの子供(叔母)を抱え、戦後の混乱の中、自らの会社を起こしました。
私の想像の中ではきっと大変な苦労をしたのだと思いますが、祖母は、「あの時代は皆そうだったから。」とにっこり笑ってさらっと言っていました。そして私が生まれた時に、45歳で会社の経営から引退をし、私を育てながら私に多くのことを教えてくれました。

そして、その教えの中に
「お金は追いかけたら逃げる。どんな時も感謝を忘れずに、世の中の人が喜ぶことをやりなさい。そうすればお金は必ず自然に後からついてくる。」「そしてそのためにも本物を見極めること」という言葉があります。祖母の経営哲学です。

小さな子供達を抱えてまともに食べるものさえない時代からも、会社を運営しているときも、先を見据えて、決して目の前のお金を得ることを考えてはいなかったそうです。祖母は本当の意味で地に足が付いた生き方をしていました。
そして、祖母の言葉の通り、小さい頃から本物を見極める目を養うことも教わりました。

オーラソーマをお仕事として選択したときに、このお仕事は世の中の人が喜ぶ仕事だと確信しました。そして本能的に本物であると分かりました。だから何があったとしても今まで不安に思ったことは一度もありません。

祖母の生き方の極意は、今も私の中で生きています。

To be continued…

日時 : 7:51 パーマリンク コメント (0)